安心社会から信頼社会へ(日本型システムの行方)

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安心社会から信頼社会へ(日本型システムの行方)
山岸俊男 1999 6 25 中央公論新社


 「趣旨」
 日本はこれまで安心社会==安定した集団の内部で強力に協力することで社会的不確実性(相手の行動によって危険にさらされる可能性があるということ)に対処する社会==であった。ところが、その安心社会は崩れつつある。今は安心社会から、欧米型の信頼社会==相手が信頼できる人間かどうか見極めることで社会的不確実性に対処する社会==へ移行するチャンスだ。


 本書で使い分けられる「安心」と「信頼」の意味は全然違う。ここでいう「安心」とは相手の損得勘定に基づく相手の行動に対する期待のことであり、それに対しここでいう「信頼」とは相手の性格や行動傾向の評価に基づく相手の意図に対する期待のことだ。著者の実験により、一般のイメージとは異なり、日本人の方が欧米人よりも「安心」をもとに社会的不確実性に対処していることが明らかにされた。個人主義的だと言われる欧米人のほうがより他者に対する「安心」ではなく「信頼」を重視したのである。


 信頼社会は取引費用(相手の信頼を調査するコストなど)がかかるが、安心社会は機会費用(関係の持続や不信をカヴァーするためのコストなど)がかかる。現在ではその機会費用が極めて大きな負担になっているのである。


 また、安心社会は内部でこそ強固な結束を生むが、その分、明確な理由無き外部への敵対も生む。それに対し、信頼社会は広範囲で開放的な人間関係を導くので、日本のさらなる発展のためにも信頼社会に移行する必要がある。


 そのために、さまざまな社会活動を透明化し、広く情報開示を行い、人をよく信頼する人間が適応的となる社会を創造すべきである。


 「私見
 徹底的な実験の繰り返しと理詰めによるすごい本だった。実験の対象者が限定されている感があり、そのあたりには大いなる疑問を感じざるをえないが、それにしても多数の実験をふまえた論証は説得力がある。


 重要な指摘は、人間の行動がその社会への適応の結果だということ。差別をなくすにも、信頼社会への移行を促すにしても欠くべからざる視点だと思う。


 またおもしろい結果が、社会的な知性の多重性についてである。もちろんさまざまな知性が考えられるの当然であるが、氏の実験によると関係性検知を核とした社会的知性(集団内での人間関係を正しく把握し他者の行動を導き出す知性。視点が人間関係)と人間性検知を核とした社会的知性(相手が直面している状況を理解し行動を導き出す知性。視点が個人)がかなり別個に存在しているらしい。


 それぞれが安心社会と信頼社会につながっているのはお分かりだろう。この実験により社会的びくびく感(ある社会内の人間関係に細心の注意を払う感覚)と他者に対する共感性とが、マイナスの相関関係にあることが分かるという。つまり社会的にびくびくしている奴(ある社会内の人間関係に細心の注意を払う奴)は他人に対する共感性が低いのだ。これこそが安心社会の姿でもある。


《20060301の記事》