ダーウィン生誕200年の今日

今日は進化論の提唱者、チャールズ・ロバート・ダーウィンが生まれて、ちょうど200年目にあたるそうだ。


昨日、大学の教授からのメーリスで知った。


チャールズ・ロバート・ダーウィン。進化論の基礎をかたちづくった人である。当時、DNAなど、遺伝物質は発見されていなかったが、論理とガラパゴス諸島での形態観察で、進化論を考えだした。生物の変化に「淘汰」という要素を見いだしたのである。


ダーウィンの進化論は、その後確立した進化生物学や進化心理学の基盤となっている。


僕にとって進化生物学や進化心理学は、世界を理解するための解答という意味で、宗教みたいなものであるといえるかも知れない。古来から、宗教は、この不思議な世の中を理解するすべを提供してきた。なぜ世界はあるのか? なぜ貧乏人と金持ちがいるのか? なぜ山は噴火するのか? etcetc この世には理解しがたい謎で充ち満ちている。その謎を、謎でなくし、理由を与え、人を安心させる働きが宗教にある。「神々が怒ったから、山が噴火したんだよ〜」、「心が貧しいものが貧乏になり、心が豊かなものが金持ちになるんだよ〜」。人はそう聞くだけで安心するのである。そうして人は、世界を理解してきたのである。


宗教の基礎となるこの役割も、今では「科学」にとってかわられている。完全にとはいかないまでも、この世の多くのことは科学で説明がつけられるようになったのである。宗教は、その役割の根幹部分を浸食されている。


最も不思議な部分であり、答えが欲しくて欲しくない、宗教が頑強に守ってきた最後の砦、「人間の精神」という謎も、進化心理学の発展によって、少しずつそのベールが剥がされている。人間の行動や感情は、自然環境、生態的環境、姓選択に適応した結果に過ぎないと考え、調査、分析していくのが、進化心理学なのである。


私はコテコテの無神論者だ。神の存在を認めないことはもちろん、ときに私は、神という概念を憎みさえする。時間を経て、だいぶ薄められているけれど、それでもやはり、一神教の根幹には、他の神への憎しみと憎悪にあふれているからだ。一神教の神なるものは、自分を信じるものしか救わないばかりか、他の神を信じるものを、地獄に突き落とすのである。


古来から、宗教というのは戦争の要因の一つだった。たとえ表面上に現れてなくても、宗教というのはさまざまざな民族的要因や経済的要因と結ぶつき、相互に関連することによって、集団的殺人行為に理由を与えてきたのである。


宗教は確かに多様な文化や道徳、社会規範を担ってきた側面もある。だから、完全に否定するつもりはない。


しかし、世界を理解するという役割としての宗教はもう終わってるし、終わるべきだと思うのである。


そして、宗教にとってかわって、世界を理解する役割を果たすのが科学である。
「人間の精神」の不思議という面に限っていえば、それに最も端的に迫るのが進化心理学である。
今日は、その基礎である進化論を提唱したダーウィンの生誕200年目。


僕はゆっくりと手を合わせ、頭を少し垂れることで、彼への祈りを捧げた。
この神秘的で美しくて醜い世界へ。





参考
http://d.hatena.ne.jp/skycommu/20080705/1215183746