skycommuは言った、「人間とは進化生物学的に有利なように感情を発露させ、自己認識する複雑精巧なメカニズムである。」

デカルトは物体の世界は大きな機械にすぎず、定まったメカニズムどおりに動くと言った。そして、デカルトはこのような機械論的自然観を有機的な自然、動物にまで適用する。動物とは複雑精巧な自動機械オートマトンにすぎないとさえ言った。そのような中で精神だけは人間の専有物であるといい、人間を特別視する。


人間とは精巧なメカニズムであるといったら多くの人は反発するだろう。そうやってデカルトのこの提言は退けられてきた。


確かに、人間の精神について十分に考慮しているとは言い難い。一応、触れられているが、精神(心)こそが人間の人間たるゆえんである。精神をもっと重要視しなければ、多くの市井の人々が反発して当然だ。



ところで、精神って何?


自我のこと? 自意識のこと? 自己認識のこと? 感情の発露のこと? 人間らしさのこと?



自我も自意識も自己認識も感情の発露も人間らしさも、、、すなわち進化の、つまりあくなき変異と淘汰の産物である。


殴られれば、反射的にむかつき、殴り返そうとする。役立つものをもらえば、反射的に感謝し、いつかお礼をせねばと思う。人に恋したら、反射的にその人の一挙手一投足が気になり、その人が幸せになって欲しいと思う。


これが、この集合が、精神だ。こういう風に思考できる奴が生存に有利だった。だから僕も、あなたも、以上のように思うのだ。


さて、デカルトは自然を精巧なメカニズムだと言った。


人間もそうである。


ただし、「感じる」ということと、「自己認識」するメカニズム、という補足が必要かと思う。正確にいうと、進化生物学的に有利なように感情を発露し、自己認識するメカニズムということだ。


さて、skycommuは言った。
「人間とは進化生物学的に有利なように感情を発露させ、自己認識する複雑精巧なメカニズムである。」


私は、進化生物学的に有利なように感情を発露させ、自己認識する複雑精巧なメカニズムである。


《2006/07/27の記事を転載》