愛の対義語は無関心である

人は時に何かを紹介したくなる衝動に駆られることがある。僕は人間だからそれをやめられない。


心に響くことがあれば、良かったと素直に思うし、それをみんなに教えてあげたい。それはミッチリツレアウニンゲンの本能だし、きっとヒトが幸せに生きるこつだと思う。


ネット上ですばらしい詩を見つけた。


なんて心地よい リフレイン 、そして抜群に美しい イメージ 。さあ、あなたの心の中で聖女は歩き出したか?


以下全文http://ms.que.jp/taigigo.htmより転写。


『愛の対義語は無関心である』


明け方の雨が桜を散らした
咲いてまだ間もない花弁が
緩やかな坂に敷き詰められた
冬が最後に送った北風が
幼い花を殺戮していった
そしてその時 あなたは
何も知らず夢の中


『愛の対義語は無関心である』と
聖女はその人生の中で呟いた


子供達がに遊んでいた
しかし二人の母親達が
怒声を上げながら現れると
二人を強引に引き離した
罵り合いと不安そうな目
そしてその時 私は
一言も無く歩み去った


『愛の対義語は無関心である』と
聖女はその人生の中で呟いた


人は無力だ 人は無知だ
なにより世界に比して
あまりにも矮小な存在だ
しかし矮小でも
矮小なればこそ
精神の水面に小石を投げよ
世界を疑え 世界に声を上げよ


最初は僅かな飛沫が
そして緩やかな波紋が
一つ一つは小さくとも
それらは幾重にも重なり
遠い未来 いつかは潮流となり
世界の中心に届くだろう

人はみな誰かの波紋の上にいる
だから まずは
精神の水面に小石を投げよ


『愛の対義語は無関心である』と
聖女はその人生の中で呟いた


《2006/07/22の記事を転載》