カブール・ノート 戦争しか知らない子どもたち

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カブール・ノート 戦争しか知らない子どもたち
山本芳幸 2001 11 20 幻冬舎


 村上龍氏の読者が運営していたという掲示板「龍声感冒」。そこに本書の著者、山本芳幸氏が投稿した記事を中心に編んだ本。


 出版当時、彼は国連難民高等弁務官カブール事務所所長。パキスタンアフガニスタンでの平和活動の経験が本書の中心となっている。主要な仕事場であるカブール、イスラマバードの市井の人々の様子や国連の援助活動の様子がおぼろげながら見え、いろんな意味での別世界がうかがえておもしろい。


 アフガニスタンといえば非常にタイムリーで、つい最近アメリカに攻撃された。9,11テロを起こしたというオサマ・ビン・ラディンを、アフガニスタンタリバン政権が匿ったというかどでだ。タリバン政権はつぶされ、今、アメリカの意に沿う形で成立した政府のもとで戦後復興が進んでいる。


 アフガニスタンはずっと戦争の最中にあったそうだ。1979年のソ連侵攻、ソ連によって作られた傀儡政権に対する聖戦士たちの反政府ゲリラ、聖戦士たち同士による内戦、タリバンによるアフガニスタン統一にむけた闘い、そしてアメリカによる侵攻。その中で世界最大規模の難民が発生し、今も多くの人々が苦しみの中にいるのだ。著者はこのアフガニスタンの苦境をろくに報道してこなかったマスコミを厳しく非難している。アフガニスタンの苦境はアメリカの侵攻にはじまったわけじゃない。ずっとその昔から起こっていたんだ、と。


 この書には実体験をしているからこそ言える、多くの注目すべき提言があった。いくつかをピックアップしたい。


○世界平和とは何なのだろうか?
 タリバンアメリカをはじめ多くの国々から非難を受けていた。女性差別をはじめ、近代的な(欧米的な)人権を守っていなかったからだという。しかし、地元住人にはタリバンに対し歓迎の声が多かったそうだ。なぜなら、聖戦士たちの内戦によって悪化した治安をタリバンは安定化したからだ。タリバンの興隆する以前のアフガニスタンは文字通りアナーキーな状態だったという。暴行、レイプ、略奪が日常化し、多くの人々は大変な苦しみのもとにあった。タリバンは治安を回復させ、それらを解消したのだ。


 世界平和とは何なのだろう。それは戦争が起こらないこと。ある地域内で治安が安定していることだと著者は説く。ある地域内とは地球全体から個々の村々にまで適用できるものである。


 そのためにはどうすればいいのか?著者は地域文化の尊重・不干渉(人権の非乱用)、そしてとかく治安を安定できる政府・集団を優先させるべきだという。アナーキーな状態の惨劇を見てきた著者に指摘されると極めて説得力のある提言だ。


○人権について
 【人権をすべての社会に普遍的に妥当するものとして、それが成立してきた歴史を持つ社会の外へ適用していく時、衝突が起きる。現在、「人権VS文化」として語られることの多くは、「西洋文化VS非西洋文化」として解釈することができる。「人権侵害」という判定それ自体が、非西洋文化の側では「文化の侵害」であると響く。この文脈では人権はレトリック以上の意味を持っていない。人権は、最初に使ったほうが勝ち、という極めて反人権的な言葉として強烈な威力を持っている。念仏のように人権を連呼すればたいていの議論にあなたは勝てる。他文化に対する尊敬、自文化に対する懐疑、その両方が見事に欠落した「善人」が、狂信的な熱意を持って、人権という刃物を振り回す。その結果、不幸なことに、人権は『オリエンタリズム』のバージョン・アップの一部品にすぎなくなっている。】


 著者は人権を、西洋社会の発展と平行して、そこに妥当する規範として成長してきたものという。その人権をそのまま非西洋社会に適用できるわけではないのだ。人権=普遍ではない。西洋で発達した人権を、他文化の事情を一切無視して推し進める人を、【人権が人間社会で果たす原理的機能を無視して、形だけの人権唱導の心地よさに狂信的にひたっている人を、「原理主義」の一般的誤用に従って、僕は人権原理主義者と呼ぶ】と断じている。「人権」のもたらした不幸の数々を目にした著者ならではだ。


 そして、人権の政治的利用に対する指摘。


 【メディアにおける人権侵害糾弾がエスカレートするうちに、いつのまにかアフガニスタンの戦闘は、人権を擁護する「善玉」と人権を侵害する「悪玉」の間での戦闘にすりかわってしまった。言うまでもないが、人権をめぐっての戦闘など最初から最後までここには存在しない。政権をめぐる闘争が延々と続いているだけなのだ。
 タリバンの人権侵害を非難する国家の行動が明らかにしてきたのは、皮肉なことに人権の本質的軽視のようだ。というのは、そのような国家が一貫してタリバンと同様な政策をとっている他国の政権を糾弾するかと言えばそうではなく、友好国であったりする。また、反タリバン勢力の人権侵害を同様の基準で非難しているかと言えば、これに関しては沈黙している。つまり、最初にタリバンを政権として認めたくないという政治的意志があり、そのために人権が利用されている。人権が政治の道具と化している。結局のところ、彼らはアフガン人の人権など屁とも思っていないのではないかと思わざるをえない。】


 人権という言葉には気をつけよう。なお、これら種々の問題に対し、私の立ち位置は決めかねる。ただ、氏の指摘は考察を深める上で貴重なヒントになると思う。


 どっかのブログに、「本書はUNHCRカブール事務所長としてアフガンの難民救済のために奔走してきた著者だからこそ言えることが、そしてアフガン人やタリバンの生の姿がリアルに描かれている。彼らをニュースの素材としてしかとらえていないマスコミと生きた人間としてとらえている著者との認識の差は歴然としている」とあったが(operaにメモってた)、なるほどなあ。本書は長年アフガンの苦境を無視してきたマスコミに対する痛烈で貴重な非難を有している。この着眼点はもっと指摘されていい。


 そういえば、ついこの間もソマリアで紛争があったなあ。紛争の起きる前、海外旅行が趣味の先輩がソマリランドについて、ソマリアの歴史について、熱く語っていたのを覚えている。


《2007/01/16の記事を転載》