混沌とは何ですか?

混沌とは何ですか?


現実とは何ですか?


人間とは何ですか?


私とは何ですか?





混沌とは、私たちを取り巻くただの原子の流れ、そのすべてです。
私も含め、私の周りにある事象の起因です。
混沌は世界の本当の姿でもあります。
私たちを取り巻くただの原子の流れ、そのすべて。
それが混沌です。


現実とは混沌の中、それぞれの生命が認識するものです。
生命はそれぞれの現実を持ちます。
混沌の中、自分の必要とするところを関知するのです。
たとえば、鯨と人とでは音と呼ばれる原子の振動を関知できる幅が違います。
犬は嗅覚と呼ばれるものを、人は視覚と呼ばれるものを主に使って、混沌の中を切り取り現実として認識します。
当然それぞれの現実は違います。
このように混沌の中、それぞれの生命が自分の必要とするところを関知し統合したもの。
それが現実です。


人間とは他者とコミュニケートする個です。
人間は極めてひ弱な生命です。
けれども他者とコミュニケートすることで他の生命との競争に勝ち抜いてきました。
人の人たるゆえん。
それはこのコミュニケートすること。
その一点です。
それが人間です。


私とはさまざまな淘汰圧の中で生まれた、自己認識するものです。
生命にはさまざまな淘汰圧が働きます。
生存。
異性から選ばれること。
それらがうまくいかなかった生命は、その生命の行動や素体に起因する遺伝物質を後世に残すことなく死にました。
かくして、生命は、遺伝物質の不正確なコピーと遺伝物質を後世に残せたか残せなかったかという結果(淘汰)により、環境によって形態や行動を変化させてきました。
人間においては社会的地位を確立し得たか?ということも重要な問題です。
なぜなら、人間は他者とコミュニケートし、社会を形成していかなければ生きていけないのですから。
現代の人間に至る中で、自己認識することが、生存や異性からの選択、社会的地位の確立などに有利だったのでしょう。
他者との複雑なコミュニケートには、他者の感情を想像、予測することの手助けとなる自己認識が有利だったと思われます。
また、客観的に、網のような人間関係の中にいる自分を見れることは、次の相手の行動を把握する上で有利だったとも思われます。
それが自己認識ではないでしょうか。
とにかく進化の結果、人間という生命は自己認識する意識体を持つに至りました。
進化(自然淘汰)の結果、人間という生命が獲得した自己認識する意識体。
それこそが私です。





進化の結果得た自己認識体、すなわち私は、混沌(本当の世界)の中を、現実(世界)という形で切り取り、原理的に他人との事ばかりに気を配りながら、静かに思索しています。



そして静かに思索していました。

参考:ニコラス・ハンフリー(内なる目―意識の進化論)


《2006/03/28の記事を転載》