(「〈外部〉の文節ー記紀の神話の論理学」、上野千鶴子)より

・「記紀の言説は、誰がこのクニの統治者であるべきか、についての長い系譜誌」

・「結婚は親族関係をうち立て、再生産を可能にする回路だが、日本の王権神話は、他の多くのポリネシア首長国の王権神話と同じく、ヨソモノがやってきて土地の女と通婚することによって主権をうち立てる、という「外来王」説話を共有している。」
記紀のテクストでは、カミはクニの民にとってヨソモノであり、クニの統治者は、カミという〈外部〉とつながる出自を持つことによってはじめて、支配の正当性を保障されている。」

・「神武から開化まで九代の天皇は、次々に土地の女との創設婚をくり返す」
「この創設婚が確立したとたん、統治者の親族構造上の地位は変質をとげる。つまり彼は、土地の民の「姉妹の夫」つまり異族から「姉妹の息子」、つまり(母系上の)同族へと、〈内部〉化をとげるのである。
 開化までの神話的な諸代の天皇のあとに、再びハツクニシラス天皇として登場する崇神天皇の時代に、はじめて皇女が伊勢斎宮に奉仕したとの記載が見える。崇神は、アマテラスの伊勢遷座をひきおこした天皇でもあり、斎宮制は、この時に始まったと見ることができる。
 つまり創設婚が終了し、ヤマト諸氏族との間に婚姻連合が完成したと同時に、天皇は、〈内部〉に回収されつつあった自己の〈外部〉性を、別な形で再び確保しなければならなかった。それが斎宮制であったと考えられる。皇女不婚のルールは、禁忌された姉妹を、一般交換のリンクにはめこむことを禁止し、交叉イトコ婚による一方的な女のフローに、ブラックホールのような集結点を作る。その不婚の皇女を吸収していく象徴的な〈外部〉が、伊勢」
「不婚の皇女が天皇制にとって意味を持つとしたら、可能な解釈は、ヒメヒコ制の射程の中で、皇女がカミという象徴的な絶対至高者と「神妻」として結ばれることによって、天皇の〈外部〉への回路の媒介者、つまり司祭となること」
「アマテラスと、伊勢という聖なる空間的〈外部〉にある斎宮とは、同一化されている」
「伊勢斎宮は小アマテラスなのであり、〈外部〉性を天皇に保証する供給源」

・「七世紀の日本の王権は、皇族内婚を確立することで、〈外部〉の〈内部〉への依存を断ち切った」
「婚姻ゲームから完全に自立した王権は、もはや〈内部〉と互酬化する必要を一切持たない、権力の〈中心〉ーーそこへと女と財、土地のすべての〈贈与〉が吸収されて二度と還流することのない、ブラックホールーーとなる。」