機関銃の社会史

機関銃の社会史
ジョン・エリス 越智道雄訳 原著1975 平凡社

内容(「BOOK」データベースより)

十九世紀半ば、機関銃の登場により、過剰殺戮と呼べる概念が戦争に導入された。戦争の主役は、もはや人間ではなく、機関銃であることが明らかになった。第一次世界大戦では、死者の八十パーセントが、機関銃の犠牲者となった。近代の軍事技術の革新によって、人間の社会はどのように変わっていったか。背筋が寒くなる人間と機関銃の歴史。

感想

機関銃がどのように社会に登場し、いかに受け入れられていったのか、あるいは当初受け入れられなかったのか、整理している。そこから社会の実相の一面を明らかにしようとした本である。

高速で大量の銃弾を繰り出す機関銃。例えば日本を例にとってみれば、日露戦争の会戦で、双方に強力な兵器となったことが有名だろう。その強力無比な火力の前で、多くの兵士が無惨な屍となって積みあげられた。

現在でも、扱いが容易で故障も少なく安価なAK47はテロリストに好んで使われている。なかにはAK47があまり訓練していない人でも強力な火力を発揮できる点から、戦争のあり方、紛争のあり方すら変えてしまった、と表するむきすらある(『カラシニコフ』、http://d.hatena.ne.jp/skycommu/20090220/1235128541)

このように誕生から現在まで、人間に大きな影響を与えている機関銃の歴史と、社会がそれをどのように受容したか学ぶことのできる本である。

メモ

・機関銃は南北戦争(1861〜65)で使われはじめ、それ以後もアメリカを中心に発展した。アメリカは初期の機械をよく活用した。というのもアメリカには機械化を、自分たちの伝統的な生活様式を脅かすものとみなす組織だった職人階級が存在しなかったためだ。一方、伝統や制度、熟練した技能に支えられたヨーロッパでは受け入れられるのが難しかった。

・機関銃のすさまじいまでの威力は、西欧諸国の対アフリカをはじめとする植民地拡大に大きな力となった。にもかかわらず機関銃の強力な火力は評価されなかった。なぜなら少数の西欧人英雄による手柄として喧伝されたのであり、この並はずれた武器を認めてしまっては、西欧人が優れているという評価を吹聴できなくなってしまうからである。

第一次世界大戦が始まるまで西欧諸国の軍隊では古い価値観が残っていた。すなわちあくまで人間が戦場の主役で、個人の勇気や努力が勝負を決するというのである。当時すでに機械は社会の産業化と伝統的な社会秩序の崩壊をもたらしていたが、軍隊の士官は伝統を重んじる紳士階級が力をもっていた。

以上の理由により、第一次世界大戦が始まるまで、西欧諸国で機関銃が正当に評価され大きく受け入れられることはなかった。また、第一次世界大戦がはじまって機関銃は絶大な威力を発揮したが、それでもその能力を認められない人がたくさんいた。しかし戦争が進むにつれ、機関銃の名は響きわたり、その強力な威力ゆえ戦場の主役となっていった。

第一次世界大戦後は、取り回しと火力の良さの2つをもち合わせたサブマガジンがアメリカのギャングに好んで使われた。