江戸の外交戦略
江戸の外交戦略
大石 学 2009 角川
内容、背表紙より
「鎖国」は、決して外国との関係を閉ざすものではなく、東アジアや西洋諸国と安定的な関係を築いた、静かで着実な「国際化」であった。本書では「鎖国」を日本における国民国家形成過程の「外交体制」と規定し、当時のグローバリゼーションに対応しつつ、国内の「平和」「文明化」「国際化」を進め、均質的な日本型社会を形成したと説く。「鎖国」のシステムがもたらした江戸の社会の実態を明らかにする。
感想
○江戸幕府の外交戦略や、実際のヨーロッパ諸国や李氏朝鮮との外交の内実を中心に整理している。いわゆる鎖国体制とよばれる江戸幕府の外交政策について深く分析、論究しているというよりも、ざっくばらんに事実を整理しているという感じ。
○日本に対する自虐的な言葉遣いが気になった。
日本の豊臣政権が行った朝鮮出兵に対して著者は、「侵略」という語句を使う。
一方、ヨーロッパ諸国のアジアへの進出に対しては「獲得」「接近」「進出」「支配」「戦争を展開」といった語句を使う。
明らかに日本に対して使っている「侵略」という語句がマイナスイメージが強い。なぜ、日本にだけこのような批判的なニュアンスのある語句を使うのか?
自虐的なものの見方の表れだ。このような日本に対する差別的な扱いは非論理的であり、学者としての信頼性を損ねる。ゆえい各国の扱いは統一した方がよかっただろう。
○昨今、江戸幕府の鎖国政策は実際に国を閉じていたわけではなく、いくつかの国を選択して交流していたのだ、という論が流行っているようだ。比較的最近の本でそのような指摘をする本をいくつか目にした。
しかし、国は完全に閉じていたわけでなくとも、民間人の外国との交流を厳しく制限し、また幕府が交流していた外国は少なく、その交流の内容も充実していたとはいいがたい。室町幕府や織豊政権と比べ、外に対して交流を高度に制限していたのだったら、「鎖国」と表現するのはそれほど不自然ではないと思うのだが。
教科書レベルの記述でもオランダや中国、朝鮮と貿易していたことはしっかりと書かれていたし、外国との交流を完全に閉ざしていたなどと誤解している人は少ないと思うけれどなあ。
江戸幕府の鎖国政策は実際に国を閉じていたわけではなく、いくつかの国を選択して交流していたのだ、といちいち強調して主張する理由がよくわからない。
メモ
○「[国家―国民]の関係から「鎖国」を見直すならば、」「日本史上はじめて国家が対外関係において国民を管理する時代が到来したということ」
「国民を基礎とし、共同意識を備える近代国家」である「「国民国家」の形成過程と捉えられる」p8
○徳川吉宗は実用的・実学的な分野(法律、農政、天文、気象、地理、医学、薬学、蘭学など)への関心、さらにこれらから異国・異文化への関心が歴代将軍の中で際だって高かった。
防火に対する関心も。
→スカイコミュの感想:本書には吉宗がオランダ商館長に行った質問が掲載されていた。その内容は西洋社会や国際情勢に対する質問が多く、好奇心旺盛な様子がうかがえ吉宗に対する共感をもった。
○江戸後期の幕府関係者やその周辺の人々は、ヨーロッパ諸語をよく学び(学ばせ)、西洋諸国との接触や対外世界の急変化に対応しようとしていた。