思考停止社会 「遵守」に蝕まれる日本

思考停止社会 「遵守」に蝕まれる日本
郷原信郎 2009 講談社

内容(「BOOK」データベースより)

日本の経済と社会を覆う閉塞感の正体。相次ぐ食品企業の「不祥事」、メディアスクラム年金記録「改ざん」問題、裁判員制度コンプライアンス問題の第一人者が、あらゆる分野の問題に斬り込み再生への処方箋を示す。

感想

○主として、以下のような主張をしている。
これまで、法令は非日常・社会の周辺部でしか機能していなかった。
しかし。経済活動の自由化の一方でルールの徹底が強調されるようになり、社会の中心部でも話し合いや慣行から、法令が使われるようになった。市民生活も経済活動も、法令との関わりを持たざるを得なくなってきた。
そうなると法令に対する姿勢も、これまでのように単なる「遵守」するというものから変えなければならない。法令の内容や運用が市民生活や経済活動の実態に適合しているかどうか市民が関心を持って、より社会の変化や多様性の増大に適合するように法令を使いこなしていく、という市民参加型の司法や法令の運用に変えるべき。
 ところが、法令が出てくると、水戸黄門の印籠に対するのと同様に、その場にひれ伏し、何も考えないで「遵守」するという姿勢を続けている。法令に違反したり、「偽装」「隠蔽」「改ざん」「捏造」に当たる行為を行ったものは一切弁解できず、マスメディアや世間から厳しい批判をあびせれれる。
何も考えないでただ「遵守」するというのは思考停止状態である。そこから脱却して、起きている物事の本質、根本を理解し、認識し、めざすべきものを明確にしていかねばならない。


 法令だけでなく、社会規範まで「遵守」という単純な姿勢が求められている。思考停止であり、変えていくべき。


○筆者は、上記の主張を行い、実例を挙げて批判している。
筆者のあげる実例は、不二家,伊藤ハムへのバッシングや、耐震偽装問題、村上ファンド,ライブドアへの検察捜査、裁判員裁判、厚生年金記録不備問題、マスメディアの放送、などなど。しかし、なぜこれらが様々な問題の中で特に「思考停止」の例として取り上げられているのかよく分からない。


 世の中には様々な問題があふれいている。その問題に精通する人にとっては、マスコミや国民の言説は(よくしらねえくせに、適当なこと言ってんじゃねーよ)と思うだろう。結局著者は、自分が関わりよく事情を知っている問題について、それに対する、マスコミや国民の意見が(あまりに一方的で一面的だ)と批判しているのである。そしてそれに過ぎない。
 著者の、法令に対する市民の姿勢への批判は強く共感する。その他問題への批判も、一つ筋を通して説明している。しかし、「思考停止社会」に焦点を絞り、その観点をもっと整理し、「思考停止社会」を構造化できるような実例をあげた方が、書籍としてはよりレベルが高かっただろう。