オタクで女の子な国のモノづくり

オタクで女の子な国のモノづくり
川口盛之助 2007 講談社

内容、アマゾンより

トイレで用を足すときの音を擬音で消す「音姫」。
精巧きわまりない人型ロボットの「ASIMO」。
世界的なステイタスシンボルとなったハイブリッドカープリウス」。
……といったユニークな製品を、なぜ世界中で日本のメーカーだけが作れたのでしょうか?
その秘密は日本が世界に誇る「オタク的な文化」「女の子的な文化」にある、というのが、気鋭のコンサルタントで若者文化を深く愛する著者の答えです。
そして、今後、日本のモノづくりと経済を完全復活させるには、「萌え」や「ギャル系」のパワーを生かした製品開発を進めるしかないと、豊富な実例を挙げて明快に指摘します。

雑感

 日本の製品は他の国の製品に比べ、特徴的であることを論じ、その特徴から日本の価値感や習慣などの文化的背景を述べようとしている。
 視点はおもしろい。結論はタイトル通り。
 ただ、本書には日本製品に対する礼讃が多く、それが目につく。確かに、日本製品は過剰な性能をもっていることは有名だ。高品質高価格というわけである。しかし、それは単純に礼讃できることなのか? 企業活動なのだから、過剰な性能を持つことで、利益が出てこそ、礼讃の対象となるのではないか? そう考えると、いつまでも世界市場に対応できず、赤字と黒字の間をさまよう、現在の多くの日本の大企業とその製品を、簡単に褒めることはできまい。
 また、デザインの面でも日本製品はそれほど優位だとは思えない。いやむしろ逆だと感じる。


 後、日本文化を論じる上での根拠としている製品が、普段見かけないモノだったり、実は外国製品だったりする。。そこら辺がいい加減で甘い。日本製品から日本文化を論じたいのなら、日本のみ強く普及している製品だけに着目すべきだろう。日本製品であっても、それが広まっていなかったり(世間に受け入れられていない)、外国でも広まっていたら、日本文化の特質を論じる根拠にならない。
 また、日本製品には他人への配慮が見られ好ましいという言説が散見される。本当に良いこと? 他人の目に過剰に怯えているだけでは?


 とかく、視点はとてもおもしろいので、もう少し論証がしっかりしていればもっと良い本になっただろう。

メモ

(高性能なトイレを代表とする日本製品を生みだした文化的背景。↓
衛生観念が高い。心地よさを追求。恥じらいの気質。他人への配慮。地球環境への配慮。ファンタジー。差別化のため、贅沢にどんどん機能を追加↓
「女性的な細やかさや恥じらいの心情と、子供のような好奇心やファンタジー的世界観」p213女の子な文化)p20他


(日本は、独自性を追求すべき)p24


(日本文化は擬人化が好き)第二章