日本神話

日本神話
上田正昭 1970 岩波


【内容、カヴァー折口より】
白本神話といえばまず古事記日本書紀を思い浮べる。しかし、記紀は政治的目的のもとに体系化されたもので、古代人の心の中に生きていた神話の世界はもっと素朴で生き生きしたものではなかったか。考古学や民俗学の成果をとり入れつつ、記紀および風土記などの緒文献を徹底的に再検討することにより、日本神話の現像を追求する。


【感想】
記紀神話や、その成立過程、それが記述されたものとしての成立過程について解説している。
なかなか勉強になった。
日本神話については、学習している最中なので、特に批判できるようなところは思いつかない。


また本書では、オオクニヌシに複数の名前が与えられていることについて記述している。オオクニヌシには、「顕国玉神」に代表されるようないわゆる善的名前と、「葦原醜男」に代表されるようないわゆる悪的名前があると指摘している。名はまさに神そのものを表す。つまり、オオクニヌシは、善と悪の二面性を内在させた不思議な神なのだ。それは歴史的な変遷の末そうなったのだろう。


オオクニヌシという神は一体何者か?
二つの位相。
善と悪という二つの見方(あるいは意味)(あるいは力)は、おそらく同一あるいは複数の集合意識が命名し、与えたのだろう。それを解き明かすことは日本神話のダイナミックさを明らかにし、その一つの本質を探る重要なキーとなるだろう。


【メモ】
記紀神話の神系譜は、現実の皇室や諸氏族とのかかわりにおいて整合され、皇室の系譜や氏族の系譜につながる」p4


「神へのささげものや神にたいする祈願は、まつりに付随して行われるようになった現象で、まつりの出発点は、神迎えして、神の託宣をあおぐところにあった。古い祝詞が祈願を主とするものよりも、神の宣詞そのものであり、そこに呪詞的要素が色濃くただよっていたのは、まつりが本来、神の来臨をまって神意を奉ずることをおもな目的にしていたからである。」p40


「『出雲国風土記』のみは、中央から派遣された官僚の手によって編纂されたものではなく、出雲地方土着の豪族出雲臣広嶋と、出雲人神宅臣全太理を筆録責任者として完成した。」p80


「海人集団にとって月齢をかぞえることは不可欠であった。月齢は潮の干満とも関係する。壱岐の海人集団の奉ずる神=ツクヨミのありようには、この神の原初の姿がただよう。」p105


タカミムスビなる神名は、植物の生成にかんする霊力の神格化」p121


高天原からみた中つ国の神々の多くは、荒ぶる神どもであった。」p128


「カミムシビ(ry)が現れるのは、必ずといってよいほど出雲神話においてであり、この神を出雲系の神話の御祖とする意識は、出雲神話にきわだっていたからである。」p160