古事記の世界

古事記の世界
西郷信綱 1967 岩波


おすすめ!
【内容、カヴァー折口より】
イナバの白兎,国引き,オロチ退治,海幸山幸,天の岩屋戸の話など,古事記は私たちにとって親しみ深い古典である.著者は,古事記伝宣長という縦糸と,イギリス社会人類学の横糸とを交錯させる新しい問題意識に立って古事記を読み解くことにより,その本質を明らかにした.新しい光に照らし出された古事記の豊かな世界がここにある。


【感想】
古事記や、古事記からよめる昔の人々の世界認識について解説している。
なかなか勉強になった。
日本神話については、学習している最中なので、特に批判できるようなところは思いつかない。ただ、古事記を基調としつつ分析をしているのだが、時に日本書紀もふくめて分析している。その際、日本書紀の、都合のいい部分だけを引っ張り出して分析の対象としているのではないか、という疑念がぬぐえない。


【メモ】
「いちばんさきを歩いているのは、むしろ映像や象徴であり、理論や概念はあとからそれを追っかけたり、引きもどそうとしたりしているとさえいえるのではなかろうか。少なくとも理論と映像、概念と象徴、あるいは科学と神話は、単純な対立関係、前者が後者を進化的に克服するという関係にあるのではなく、もっと複雑な平行関係にあるとみるべきであろう。」p9


「『葦原中国はいたくさやぎてありなり』という句も、葦原の茂みが風にざわざわと乱れる音にたいする古代人の経験にもとづくもので、しかもこのざわめきが不気味な、ほとんどデーモニッシュなものと感じられていたらしいことが、『蠅声す邪ぶる神、云々』とか『草木みな能く言語ふ』とかいう表現から推測できる。(中略)それはデーモンどもの蟠居する混沌たる未開の世界であり、それ故にことむけらるべき地であったのだ。」p22


「古代では葦原という語は、荒とか穢とか醜とか蕪とかいう或る一定の状態と連結しやすい性質をもっていたわけで、葦原の中つ国がなぜ荒ぶる国とされたか、これでいっそう明白になるとともに、私たちはここに言語における範疇という概念につきあたる。(中略)私たちは、『葦原』という語をかんたんに現代語訳することによって、その基礎に横たわる古代人の経験、その分類のしかたの独自性をつかみそこね、ひいては『葦原中国』が何を意味するかにかんし、とんでもない誤解(skycommu注、『葦原』が自然的景観や生活事実をそのまま写したものであるという読み)を犯してきていたのである。」p24


「高天の原は大和をふくむ葦原の中つ国にたいする天上の他界」p28


「大和から見て出雲が西の果てにあって日の没する方位を代表していたことが、出雲をして神話的に重からしめるゆえんであった。」p31
一つの説として。


「『葦原中国』という語は、ふつう解されているごとく日本国の古称ではなく、高天の原からの神話的命名であり、しかも高天の原から見た場合、これは葦の葉の不気味にざわざわと『さやぐ』世界、つまり、荒ぶる神どもが棲息し、混沌と無秩序とに蔽われた未開の地であり、宗教的にいえば聖ならざる、俗なる、醜き世界であり、だからこそ、その棟梁大国主は葦醜男とよばれた」p32


「黄泉の国の姿はひどく肉体的」p48


「死のケガレが古代の日本で厳しく忌まれた例は、ほとんど、枚挙にいとまがなく、神道とはケガレを忌む宗教であったといって過言でない。」p60


「祭式は、平素ゆるされていたことを禁じるとともに、平素禁じられていたことを許すというかたちで日常生活を仕切る。」p119


「古代の饗宴がどんなものであったか、私たちの想像力はもうあまり敏感にはたらかなくなっているが、それは飢えという身体的渇望の何であるかを、私たちがほぼ忘れてしまっているからである。古い世の人々にとって、うたげはほとんど暴力的歓楽であった。
p120


「大陸古典文化の流入は、日本がまだそのなかに生きていた神話的伝統を急速にほりくずし侵蝕する力としてはたらいた。現に大化改新による官僚国家の形成じたい、理論的にも実践的にも、神話の生きる母胎である同族的社会組織の破壊を少くとも志向するものであった。だが、こうした解体的な力のため自己のよってたつ地盤が喪失に瀕しつつあるといいう状況が、実は逆にあらたな次元での神話の結集をうながす機縁となった。こういう意味で古事記編纂は、神話が神話として生きうる最後の段階を記念した一つの事件であって、たんに年代的な七世紀の所産ではないことに注目しよう。」p191