『近代小説研究必携3』のメモ

『近代小説研究必携3』のメモ
有精堂編集部編 1988


(テクストの細部/物語の切片) (小森陽一
「かといって研究史を無視せよと言うのではない。研究史を徹底して対象化し切ったとき、過去の論文が陥りやすかった中心的流れ、はまり込みやすい中心概念がくっきりと見えてくる。過去の読者たちが、なぜそこにからめとられていったのかを相対化しつつ、決して足元をすくわれないようにするためには、むしろ研究史の流れをも細部にわたって熟知しておいたほうが良い。。「細部」との出会いは、かつて一度も論究されていないテクストの部分、物語の切片を確認しつつ、その全体との関連を見出し、くり返し論及されてきた部分の意味作用を転倒することによって、はじめてもたらされるのである。


しかし今まで述べてきたような細部が持つ物語の生成力を捉えていくうえでは、細部だけを問題にしていてもしかたがない。一つ一つの細部が、物語全体の中でどう機能しているのか、あるいは部分としての細部の中に物語全体がどうあらわれているのかを読みとるような、言語の運用がどうしても必要となってくる。


部分としての細部に、物語全体にかかわる言葉の運動を見い出したとき、それは新たな物語の生成を可能にする想像力の渦を生み出す場となっていく。もちろん、そこから物語の構造だけを抽出しても、研究や批評にならない。重要なのは、その構造から、どのような読者自身の物語を紡ぎ出していくかにある。構造分析は共有できても、それに基づく解釈・注釈・批判といった言葉の運用は、一人一人の読者の個別性と責任にゆだねられている。読者自身が自らの心と身体の中に蟠っている何ものかを、テクストの構造にかかわらせたとき、それはスタティックな形態から離脱し、ある一定の強度をもった力の場として、読者自身の言葉の運動をつくりだしていく動態となるのである。」


《20080519の記事》