パンツをはいたサル(人間は、どういう生物か)

パンツをはいたサル(人間は、どういう生物か)
栗本慎一郎 2005 現代書館


ひどい本だった。読んでて怒りがこみ上げてくるぐらい。


人間とはパンツをはいたサルとでもいうべきものだと著者は主張している。パンツをはいたサルのパンツは余計なものである。人間とはそういう余計に付与されたものをたくさん抱え込んで生きている生物だというのだ。(ex言語、道具、複雑な社会)
人間を考える上ではそういう他の生物より余計に付与されたものについて検討することが重要だという。


たいして新規な概念でもない。そんなの、当たり前じゃないの?


細かく見ていけばおもしろい指摘はしている。
例えば、人間が他の生物に比べ、同種に対しより高い残虐性を発揮するのは、人間には高い推測力が備わっているからだという。敵は徹底的に殲滅しないとその子供が復讐しないかとか過剰に心配するというのだ。まあ、著者の指摘は半分あたっているだろう。根深き復讐心が人間の高い残虐性を発揮するとともに、そのような高い推測力がそれを助長しているのも事実だ。だがそれは進化心理学的な利点あってのこと。別に高い推測力のせいだけではない。そうだとしてもそれはあくまで結果だ。


人間の経済活動(交換・金銭の誕生)は生きるのに必要以上の物を意識的に生産するようになったからだという。交換すること自体によって隣の集団との緊張緩和をはかっていた例などが散見されるそうだ。贈り物の借りを返すために生まれ、その後に交換手段として発達したのが貨幣なのだとも主張している。著者は根拠を示していないのでなんとも言えないが興味深い指摘だと思う。


とまあ、いくつか褒めたところで問題点を指摘したい。
①まずもって、自然選択に対する認識が大きく間違っている。
②根拠をほとんど示していない。
③目的論におちいっている。


はっきりいって、何かを説明しているようで何も説明していないのだ。科学的手続きをほとんど取っておらず、とてもではないが主張を受け入れることができない。
例をあげれば、人間が人食をしないのは種としてそのような道を選んだからだそうだwwwww。
こんなひどい本が世に出回っているというのはとても残念である。


著者は内知(内なる知恵、無意識の知恵、ひらめき)を大事にすべきだという。確かにそうである。しかし、著者は決定的な勘違いをしている。それを科学的・論理的土台の上に載せてはじめて、妥当性が増し、他人から認められ共有され、社会で役に立つということを。
著者が本書で試みている内知のお披露目は単なる妄想のひけらかしでしかない。それどころか科学的と見せかけてそうでない本書は他人に間違った認識を植えつける危険性すらある。だから、そういうのは潔くチラシの裏するか、はっきりと私の個人的感想ですと断り書きを入れて欲しい。


《20080819の記事》