「本」の根元的特徴

「本」の根元的特徴


 本は遙か古代から人々と共にあった情報伝達手段である。人は話すことによって高度なコミュニケーションを手に入れた。そして、壁や木材に「書くこと」によって時間空間を超えて情報を伝達することを覚えた。その発展的材料として人は紙を発見した。


 長い間、紙によってできた本は、時間空間を超えた情報伝達手段として主役的な地位を占めている。それは手書きによって本が生み出される時代もそうだったし、活版印刷が発明されてからはなおさらだ。


 だが、ここ数十年の技術の進歩は本でしかできなかったことをほとんど消滅させている。テレビ、映画、写真を代表とするは映像技術はほとんど唯一の時間空間を超えた情報伝達の手段だった本の地位を一変させた。本でなくとも時間空間を超えて情報を伝達できる。映像技術の力は圧倒的だ。そりゃあ、もう、熱帯雨林の様子を伝えるのに文章でどんな修飾語をくっつけるより、その動画を見せた方が早いし、その本人には強烈な刺激になるだろう。


 本によって伝えられてきた情報、知識、教養、感動は映像表現によって十分代用できる。


 さて、私たちはある疑問を思い立つ。本は今の時代必要なのか? 必要とするならばテレビ、映画、新聞、雑誌、マンガ、インターネット等に代表されるようなコミュニケーション手段、情報伝達手段にはない本独自の有用性とは何なのだろうか?


 いくつかあげよう。
まず、テレビ・映画に代表される映像系メディアと比べてみるならば、場所を選ばず見直せること(情報を取得できること)。しかし、最近の情報端末の進歩によってその利点は薄れつつある。
また、新聞・雑誌・マンガに代表されるような定期的に発行されるメディアと比べてみるならば、本は体系だった小難しい情報を伝えるのに適している。
また、インターネットなど文字情報を液晶から読み取るメディアと比べてみるならば紙というリアルに固定された物質を見るので人間の眼に読みやすい。


 上記にあげたのは本の利点であるがたいした利点ではない。


 本の根元的特徴、根元的利点。それは本というメディアが非特定の多数の個人が個人のみの力によって収益性をあまり気にせず生み出しえるということである。


 他のメディアに比して本は、収益性の面で鈍感だ。いや、少ないリターンでも成立するというべきか。関わっている人間が少ないから、大衆に迎合して大金を稼ぎ出す必要はあまりない。


 また、ほとんどの場合、本は一人の作者によって生み出される。個人の価値観・世界観が思う存分発揮され、本という形にまとめられる。誰かに妥協して中途半端な中身になることは少ない。もっとも、多数の人々で作るというのはそのまま長所でもあって、多様な意見を作品に取り込むことになるだろう。だから、単純にデメリットとしてのみ位置づけるべきではないが、多数の人々の知恵がいい具合にかみ合った作品というのは実に少ない。


 さらに、本を生み出す個人が、実に多様で非特定でたくさんであるという点も重要だ。映画やテレビ、マンガはその発信者が非常に特定されている。ごく一部の人々がそのメディアを握り情報を発信しているのだ。個人がテレビ等で情報発信できることはほとんどない。しかし、本に限ってはその敷居は極めて低く、日々何十冊ともいう本が名もなき著者たちによって生み出されている。そこには多様な意見を見ることができる。


 これらはいずれも、テレビ、映画、新聞、雑誌、マンガなど他のメディアにはない本という形式の媒体のもつ根元的特徴だ。テレビ、映画、雑誌、マンガなどはいずれも特定の人々が協力して、収益性を視野に入れ作っていく。そこには犠牲になるものも多い。仲間を気にして、大衆を気にして、一部の人々が生み出していくのだ。多様な個人が感じる大事なことや知的生活に必要なことがはげ落ちてしまう結果になっても仕方がない。


 このように、本は他のメディアに内合する根元的弱点をもたないものとして、それを位置づけることができる。本はやはり今の時代にあっても必要とされ、積極的に活用されるべきものなのだ。



 最後にインターネットに触れよう。インターネットはブログサービス等の発達によって本よりさらに簡易に非特定の多数の個人が個人のみの力によって収益性を気にせず生み出しているメディアであるといえる。


 しかし、液晶をとおすことによる見づらさがある。また、あまりに簡易に情報発信ができることによって、個人のどうでもいい感情の吹き溜まりになっている点があり、それはどうにかして解決すべき問題だ。情報発信の簡易性や記事をすぐ消せることなどにより、本を書くときのような神聖な心持ちがないということもある。しかし、それはそれでメリットにもなるから難しい。


一部ブログサービスが力を入れているように、他人からの評価されるシステムの導入がいいのかもしれない。このようにインターネットは、その双方向性もあいまって、本や他のメディアからも一線を画した特徴的メディアとしてその発達が期待できるだろう。


《20070407の記事》