晴れた日は巨大仏を見に

晴れた日は巨大仏を見に
宮田珠己 2004 5 30 白水社


 「内容」
 ばかでっかくてちっともありがたみを感じさせない巨大な仏の像、巨大仏。そんな全国にある巨大仏を巡る必笑旅行記


 「私見
 巨大仏というのはまったく魅力的な代物だと思う。なぜなら、日本の薄くて適当な宗教観を如実に表現しているからだ。仏という拝み、奉り、敬うべきものが異様に巨大化し明らかに変なオーラを放っている(レジャー施設と化しているところもあった)。しかも、周りの風景ともどう考えてもマッチしていないのに、地元住民から、受け入られずともはっきりとした拒否を表明されていないのだ。正確にいうと無視されている、、、か。


 本書に出てくる身長40メートル以上(最大のものは120メートルの牛久大仏)の大仏たちは、人々、特に地元住民から無視されているという点で明らかに奈良の大仏とは違う。なぜ無視されているかといえば、第一に由緒がない(まともな宗教法人が作っていない例も多々あった)。第二に景観を損ねているのに文句を言いにくい。第三にその妙な存在が滑稽以外の何ものでもない、まともに取り合うことすら叶わないからだろう。


 もう一つメモしておきたいのが巨大仏がバブル的な産物であるということだ。実際多くの巨大仏はバブル期に作られたものだった。大枚をはたいてこれほど無用なものを「建築」したのだ。まさにバブル的というにふさわしい。


 まさかイギリスが120メートルもあるイエスの像を作るまい。私は、日本のこのいい加減で適当で薄い宗教意識が好きだ。仏に対する侮辱だとか、景観が著しく損なわれるだとかわめかず、ひたすら無視に徹してしまう地元住民の深層心理が好きだ。この薄い宗教心が紛争の解決につながるとは大きな声で言わないけれど、他国も、こんな国があり、こんな生き方もできることを知って欲しいと思う。


《20050327の記事》