さおだけ屋はなぜ潰れないのか?(身近な疑問からはじめる会計学)

さおだけ屋はなぜ潰れないのか?(身近な疑問からはじめる会計学
山田真哉 2005 2 20 光文社


 社会を会計学からのぞくことで、会計学や社会の疑問などについてあっさりと触れられる本。


 著者に言わせると「どうすれば物事を的確にとらえることができるようになるのか?ということにチャレンジしつづけているのが会計という学問」なのだそうだ。会計が利益や機会損失といった目に見えないものを具体的な数字にして見えるようにする点、そして回転率や連結といった物事を違った角度から見たりしてシンプルに分かりやすく表現する点をふまえての指摘だ。けれどもたぶんにそれは会計学を美しく表現しただけのことであって、会計とは取引や会社の現状を分かりやすく表現しようという要望によってのみ成り立つ学問なんだと思う。それが極められるにしたがって人生の妙などが抽出されるようになるのだろう。これは他の学問、歴史学や物理学などにもいえることだ。


 この本を読んで次の二点が強く印象に残った。一つは、節約はパーセンテージではなく絶対量で考えるべきだということ。もう一つは、目標は高めに設定すべしということ。


 節約は絶対量で考えるべしということには本当に驚きを受けた。著者は二つの例を提示する。
①1000円のモノを500円で買うことと、②101万円のモノを100万円で買うことと、どちらが得をしているか?と。
一見すると?は50%引きでかなり得をしているようにみえる。しかし②は割引率1%弱にもかかわらず、一万円も得をしているのだ。①の500円の得とは、もはや比べるべくもない。私たちは日用品を10円単位でケチりがちだ。そのくせ、高額なモノにはあまりケチをつけず金をかける傾向がある。


 毎日100円ずつ節約したとしても3万6500円。その分一晩で5万くらい遊ぼうなどと言えば一年の苦労が吹っ飛ぶどころか赤字になる。高額なモノを買うときにこそ、よく情報を吟味してよく節約すべきなのだ。塵は積もってもなかなか大きな山にはならない。モノを買う時、その節約にはパーセンテージではなく、その絶対量を見て考えるべきなのだ


 もう一つの、目標は高めに設定すべしというのも、前の段落と同じく、会計の極めて実利的な側面から出た指摘だろう。大事なのは、目標を達成することではなくて、どれだけのことを成し得たのかということ。よって実現できそうだと思っているラインよりも少し高めに目標を設定するとよい、と著者は言う。結果を重視すれば全くその通りだろう。


 少なくとも現代の、私がなぞってきた教育現場からは指摘されない言葉である。私の受けた教育では目標を正しく設定して、それをきちんとクリアすることが評価される。目標に到達できなければ、努力不足の反省と共に目標の見直しも検討されるだろう。そこに、結果(どれだけのことを成したかということ)という概念を持ち込んだわけだ。もちろん、目標を正しく設定してそれをきちんとクリアすることも大事だが、客観的に見て自分がどれだけのことを成し得ているのかということを考えてみるのもまたよいと思う。とても、心地よい作業とはいえないが(笑)。


《20060302の記事》