文明の生態史観

文明の生態史観
梅棹 忠夫 1974 9 10 中央公論社


 「文明の生態史観とは?」
 環境と生物の相互作用を調べるのが生態学である。その生態学における生物の位置を文明に置き換えたものが文明の生態史観だ。一定の環境条件の下では、共同体の生活様式の発展が、一定の法則に従って進行するだろう。このように、環境の、文明に与える影響を考慮しようとする視点が文明の生態史観である。


 具体的に著者は旧世界(アメリカ大陸、オーストラリア大陸を除いた地域)について、現在の状態と、そこに至るまでの歴史の成り行きに基づいて以下のように分類する。一つは第一地域と呼ぶ、日本・西ヨーロッパなどの高度近代文明国と、もう一つの第二地域と呼ぶ中国・インド・ロシア・地中海イスラームなどの残りの国々である。


 第一地域と第二地域はそれぞれ現在の状況で似ているのみならず、近代に至る道のりまでも似ている。第一地域は封建制度が発達し、多数のブルジョワを育て、資本主義へと転換できた。第二地域は専制君主制、もしくは植民地体制で、ブルジョワは育たず、スムーズに資本主義へと転換できなかった。この発展の相違はそれぞれの文明の根ざす環境の相違にある。


 文明の発展の比較のみならず、宗教、家族体制、マスメディア、生活様式、政治体制などにも、文明の生態史観とその類型は応用でき、重要な見識を与えるだろう。


 「私見
 文明の生態史観という、環境の、私たち(人間集団)に与える影響を考えるという視点は極めて重要だと思う。なぜなら、人が環境に適応する様を客観的に認識することで、より大きな視点を持つことができるからだ。が、第一地域、第二地域という類型がふに落ちない。中国なら少しは知っているが、中国は極めて封建制度に近かったのではないだろうか。だとすれば第一地域、第二地域という分類は現在の発展状況を示すのみであって、他のことにも当てはまるとは限らない。第一地域、第二地域という類型が成立するためには日本が近代化に成功し、他の国々・・・中国とか・・・が近代化に成功しなかった理由を、日本との環境の違いを軸に立証しなければならないだろう。それが本書において成功しているとは言いがたい。


 さらに、著者も言うように、第一地域、第二地域とかいう類型が宗教や家族体制などにもすんなり採用できるとは思えない。たしかに第一地域と第二地域ではそれぞれ似た点が多い。しかしその諸特徴が、環境に根ざしたものなのか?


 高度近代文明=高度資本主義は生活様式に甚大な影響を与える。第一地域と第二地域に見られる相違は経済体制の違いからくると考えるほうが自然であろう。


 私は第一地域、第二地域とかいう共通の類型は存在せず、一つ一つの事象・・・例えば宗教とか歴史とか食事とか・・・にそれぞれ独自の類型が見出しうると考える。


《20060221の記事》