秘伝 大学受験の国語力

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秘伝 大学受験の国語力
石原千秋 2007 新潮社

背表紙より

近代教養主義の時代から大衆教育社会へ、入試問題は歴史とともに変容してきた。まさに、「受験国語」は時代を映す鏡なのだ。では、現代の特徴は何か? センター試験、東大、早大などの問題を徹底的に分析し、国立型と私立型、選択肢問題と記述式問題、評論と小説、それぞれの解き方の筋道を具体的に示すとともに、大学受験国語が求める国語力の是非を論じる。

雑感

 内容は面白いし、知的好奇心を刺激されるし、説得力がある。
 なにより、入試試験問題を研究しようという、権威を客観視し、相対化する態度を、非常に好ましく感じる。


 本はやっぱりすごいなあ。
本書はたった1200円。たった1200円で、僕なんかを遙かに凌駕する情報処理力、問題発見力、論理力、知識をもった人に近い視点と考え方を得られるのである。もちろん完全でもないし、簡単に応用できるものでもない。
それでも、本のもたらすものは凄まじいと思う。今現在特定の状況にある自分の知識と思考を、簡単に凌駕することができるのだから。

メモ

ニュー・アカデミズムの評論が国語の試験問題として好んで出題された理由。素材としてちょうどいい、いくつかの性格を備えていた。
1, 抽象的な議論の中に、適度な具体例がある
2, 自己をみなおす契機となる
3, 常識を問い直し、ふだん意識できない暗黙のルールを暴くニューアカのやりかたが、知的興味をよびやすかった
4, 刷り込まれた価値観の転倒がもくろまれている
5, 私たちを縛っている見えない権力をソフトな形で暴き、権力について考える機会を提供している)p32


「そもそも入試国語の設問の多くは、悪文を添削しているようなものなのである。」p44


「「天才」ではなく「秀才」程度でも、あるいは「凡人」でさえもそれなりの社会的貢献ができ、その対価としてそれなりの「豊かさ」を享受できるシステムを作ったのが、近代という時代なのである。」p59


(S30年代までの大学受験国語の傾向について
1, 旧制高校時代の教養主義の尾っぽをひきずっていた
2, その文学主義が国語と直結していた
3, それが知識の有無に還元されがちだった
4, こういう傾向の試験だといずれ種切れになることは明らかだった
5, こういう傾向なら独学が可能だった)p105


教養主義は階級社会とセットになっていたのだ。教養主義は階級社会に支えられ、上流階級は教養主義を自らの階級を他の階級と差別化する目印としていた。」p107


(試験で試せるのは、「国語力」のごく一部)p110


(入試国語に出題される評論は二項対立によって整理することができるし、そうやって図式化して理解し設問を解くことが基本。)p123


(入試国語で問われている能力
前後の文脈を正確に二項対立に図式化する二項対立整理能力
本文の言葉を別のレベルの言葉に置き換える翻訳力)p127 他


(小説では要約した物語文を作る必要がある。しかもそれは出題者の想定した物語文と一致しなければ点に繋がらない。選択肢を先読みしキーワードを参照しながら物語文をつくるのは、その有効な方法である。またそれは、道徳的であったり、主人公が成長する物語文になる。【それが学校空間で好まれるありかただから】)p135


「小説問題においては、具体性を保持しながらも適度に抽象化された「物語文」を作り、それを参照することが最良の「読解」方法となる。また、自由に読むことができる小説問題では、消去法はあまり有効ではない。」p150


「世界から人間の方にベクトルが向いているのが言語道具説で、人間の方から言語を通して世界にベクトルが向いているのが言語論的転回の考え方である。」p152


「入試国語で試されそうな「能力」を挙げてみると、こういうことになりそうだ。①そこ(skycommu注:線を引いたところ)が前後の文脈の簡潔なまとめになっている場合。これは、文脈要約能力とでも呼べる「能力」を試そうとしていることになる。②そこが、論の転回点になっている場合。これは、構成把握能力を試そうとしていることになる。③そこが全体の中で難解な表現や気取った分かりにくい表現になっている場合。これは、構成把握能力を前提として、やさしく言い換える翻訳能力を試そうとしていることになる。④そこが全体のキーワードや決めゼリフや結論になっている場合。これは、テーマ把握能力を試そうとしていることになる。」p211