カミと神(アニミズム宇宙の旅)

カミと神(アニミズム宇宙の旅)
岩田慶治 1989 講談社


【カヴァーの後より】
カミと神と、どちらを選ぶべきかということではない。人類が長い歴史の間に信仰しつづけてきた神の姿を尊いと思い、しかし同時に山河大地、草木虫魚としてわれわれをとりまき、その中から突然、カミとしての姿を現すアニミズムのカミ。そのカミをたずね、カミと出逢うためには、自然に対する原始の感情をもちつづけること、宇宙に開かれたカミの窓をもつことではなかろうか、と著者は説く。原初のカミを探求する独創的な人類文化論。


【雑感】
著者は、アニミズム的体験からくる霊的感動を「カミ」と定義づけ、従来の「神」という概念と区別する。
最初はすべて「カミ」だった。「カミ」がしだいに、社会の中で共有化され、教義化され、システムとして、その存在が定着したものが、「神」だというのだ。
「カミ」は一般にアニミズムとして捉えられるという。
一方、「神」にあてはまるのは、シャーマニズムや、多神教や、一神教なのだそうだ。


著者は、「カミ」を体感することの重要性を説いている。著者が、「カミ」について説明しているところをひこう。


「出逢いがしらのカミ、その場のなかから突出してくるカミ、言葉の発端に宿るカミといってもよい。
 出逢いの驚きと、そのときの異様な経験、しかも、その異様なものの姿に対面したときのなんとも不思議な親しさとやすらぎ。それを、そのときの大いなるもののなかに包まれている感じをカミと呼んだのである。その時は、あるいはその場は、出現したかと思うと消滅してしまう。はかないといえばこれほどはかないものはない。朝露のようにあらわれて消える。それが片仮名のカミであり、アニミズム世界のカミといってもよい。」p270


「神の最初の位相はカミとしてのものである。」p274


なかなか、おもしろい考えである。確かに、「カミ」と「神」の両者には、著者が指摘するように、区別するだけの十分な違いが認められると思う。


また、本書は、アニミズム的霊的体験を、近代知を通した目で捉えている点が興味深い。鋭い感覚をもって、詩的に、アニミズム的体験を著述している。ヒトの精神のありよう一面を示しているように感じた。


ただ、いい加減で適当な言説も多い。まあ、エッセーだからこんなもんか。