「何かに関して本気で語ろうと思ったのならばそれに関する本を何冊か読まなければならない」

最近気づいたこと。
それは、私やあなたが何かについて本気で語りたいと思ったとき、それに関する本を最低三冊は読んでから語るべきだということ。


本は知の宝庫だ。あなたのずっと先を行っている人が何かを書き残してくれている。必ずそれはあなたの役に立つだろう。


もちろん、読んだ本をただ受容すればいいんじゃない。批判的に読むことが重要だ。しかし、知識のない当初において、何かに関する本を批判的に読むことはかなり厳しい。相手はあなたのずっと先を行っており、あなたはまさに今スタート地点に立とうとしているだけだからだ。でも、幾冊か読み進めていくうち、しだいに批判的に本を読めるようになるだろう。


ただ、原初の感情は大切にした方が大切にした方がいい。何かについて怒りを覚えたならば、それを大事にして何かに関する本を読もう。考えが変わってもいい。でも最初どうしてそう考えたのか、きちんと考察する必要はある。意外と原初の感情はバカにできないからだ。原初の感情は道徳的には正しい、見過ごせない場合がある。原初の感情はみんながすぐに思いつくことできちんと考えなければならないことかもしれないし、逆にあんまりみんなが考えつかないことで追求してみる価値があるかもしれない。だから原初の感情は大事にすべきなのだ。


何かについて本気で語ろうと思ったならば、原初の感情を大事にしつつも、できるだけ多くの関連する本を読む必要がある。


別にそれに関する本を読まずにそれについて語るなと言ってるわけじゃない。自分の思いついたことは自由に人に語ればいい。しかし、自分がどこまでその考察のステップを踏んだか自覚する必要があるだろう。


そして、青年よ。熱く語ろう。


《20070207の記事》