無人攻撃機(武装プレデター)MQ-1A Predator
だいぶ前にNHKスペシャルで無人航空機についての特集があった。アフガン戦争でも、イラク戦争でも一定の戦果がみられたらしい。また、現在でも各種戦争・紛争で主に偵察用に多用されている。
その名も
プレデター (MQ-1A Predator)
Photo by US.Air Force
僕は別に軍事マニアではない。けれども武器の持つ独特の美しさーーー極限まで機能を追求したフォルム(人を殺すこと、人にばれないようにすること、人より速いこと早いこと深いこと多いこと大きいこと小さいこと爆発すること燃えること静かなこと動きやすいこと安いこと凄いこと鋭いこと高いこと低いこと遠いこと)、敵を欺く色形、人を殺すという禍々しきバックボーンーーーにはひかれる。
特に戦闘機。
速いことは快楽であり「正義」だ。それだけで脳内麻薬を分泌する。
あの先鋭的なフォルム。もたつく空気につっこみ、そして切り裂く。高速で飛ぶことで、コクピットの方から自分だけの先鋭的な空間を作っていく。
この世のものとは思えぬ爆音を響かせ、虚空を飛ぶ。きっと周辺の振動はすさまじいのだろう。オイルのにおいも微かながら残しているかもしれない。
彼らを止めることは誰にもできない。誰も追いつけないし、届かないからだ。彼の姿はまさに「自由」である(戦闘機が自由といってるわけじゃなくてそのフォルムから連想されるものが自由といっている、念のため)。
戦闘機は、人類が生み出したもの、いや地球に存在するものの中でも随一に美しい、と断言できよう。
さて上にあげた幾つかの写真、プレデター(MQ-1A Predator)。もともとは無人偵察機。だが今では攻撃もできるように改良されているらしい。
速度が遅く、もちろん有人のような機敏な動作はとれないが、味方の死者を出す心配がないため、危険な地域に多数配備されているという。今の時代、「先進諸国民の命」も捨てたもんじゃない。
また、航続時間が長く、安価であることも重要な特徴であるという。
プレデター(MQ-1A Predator)の他に、より高性能なグローバルホークという無人機などもある。
もしかすると将来、もっと本格的な無人戦闘機も登場するかもしれない。人間の限界Gを超える、俊敏で不気味な動作ができるからだ。
戦闘機にみる先鋭的なフォルムとは一線を画している。特に前の方。あんなに丸みを帯びていて面白い。無人機だから当然、コクピットもない。それが、あの何ともいえない不気味さを醸し出しているのか。
お尻の羽(尾翼というのか?)も下を向いていて珍しい。一般的な航空機が上を向いているのに、こいつだけは下を向いているのはどういうわけなのだろう。
上空を静かに偵察する無人機。人間の手を離れた異種の存在のよう。
コクピットのないあの小さな飛行機はいったい何を考えながら空を飛んでいるのだろうか?
NHKの番組はいつか来るかもしれない無人機同士の戦争を彷彿させた。
もう現在でも機械同士の戦争である。人は人を、その頭をかち割ったり、肉体を鋭利なもので切り裂いたり、突き刺したり、骨を粉砕したりして、戦争したりはしない。遠くから狙撃したり、近距離での銃撃戦だって、鉄の引き金を後ろに引くだけだ。それでも、人がおっ死ぬところが見えるだろう。もしかするとそれすらも見えないかもしれない。鉄の箱の中でミサイル発射ボタンを押しているだけの人も多いはずだ。それだけで、たったそれだけで、何十人もの見たこともない人々が「「こっそり」」死んでいく。押した方はその痛みを、その狂気をしっかりと感ずるだろうか。
死が、殺しが、離されていく。
その完成系が無人機かもしれない。
もしそれで完全に、人の行う戦争を機械が代替してくれたとなると人は死ななくなるだろうか。もしそうなったとしたら皮肉なもんだ。だってより人を、気安く殺すために無人化してきたのだから。
《20060923の記事》