人間は論理的な生き物ではない

文章を、パーっと、短い時間に、いっきに書いたことがあるだろうか?
そういう文章にはたいてい、勢いがある。
何度も同じことを言ってしまったり、過激なことをつい書いちゃったりするものだから、熱がこもって見える。情熱がこもって見える。
そういう意味では、パッパッと書いた文章はいいもんだ。


けれども、いっきに書いた文章は、論理的な文章にはなりがたい。
「オレはこれが言いたいんだ」っていう気持ちがつっぱしっちゃって、文章の論理構造に目が向かなくなるからだ。
とりあえず頭に浮かんだことをビシバシ書いてしまうからだ。
なんも論述してないのに、過激なことを言ってしまう。
支離滅裂。
論に飛躍あり。
根拠なし。
文がつながらない。
矛盾が散見される。
説明不足。
他人の意見は、自分の立場を補強する意見だけ。
或いは、他人の意見を、いいように勝手に解釈してしまう。
論旨不明。
私の指導教員の言葉を借りれば、まさに、「Aの階段を登っていたはずなのに、急にCの階段を登っている」状態になるのだ。


僕は自分の文章を見直すのがキライだ。
つい、見直しが甘くなっちゃってしまう。
だから、指導教員から突き返された僕の論考は、必然的に赤ばっかになる。
ワシントンDCではその昔、赤でペン入れするのは威圧的だなんだかんだといって、紫でペン入れをすることが流行ったらしい。
それを思い出しちゃった。
とりあえず、先生ごめんなさい。


とかく、何が言いたいかというと、人間がパーッと書いた文章は論理的じゃないことが多いってこと。
逆にいうと、熟考しないと論理的な文章はほとんど書けないわけ。
つまり、人間は論理的な生き物じゃないってことなのだ。
ってな感じで、Aの階段から、Cの階段へ移るわけなのです。


《2008/12/06の記事を転載》