戦艦武蔵

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戦艦武蔵
吉村昭 原著S41 新潮社

内容、カバー裏面より

日本帝国海軍の夢と野望を賭けた不沈の戦艦「武蔵」―厖大な人命と物資をただ浪費するために、人間が狂気的なエネルギーを注いだ戦争の本質とは何か?非論理的“愚行”に驀進した“
人間”の内部にひそむ奇怪さとはどういうものか?本書は戦争の神話的象徴である「武蔵」の極秘の建造から壮絶な終焉までを克明に綴り、壮大な劇の全貌を明らかにした記録文学の大作である。

感想

日本海軍は、パナマ運河を通行できないほどの巨大な戦艦を企画した。後に知られる大和と武蔵である。そのサイズはパナマ運河を挟んで太平洋と大西洋を抱えるアメリカには、運用上の制約を生じさせる大きさだった。大和・武蔵は世界最大の主砲と、その主砲に耐えられる厚い装甲板を備えた日本海軍の希望として結実したのである。

本書はその「武蔵」の建造から訓練、戦闘、そしてあっけない終幕をたんたんとした筆致で追っている。
本書の3/4ほどは、武蔵の建造史である。前代未聞の莫大な量の資材を投入し、「船体工事に、進水に、機密保持に、その他あらゆることに全力を傾けつづけて漸く仕上げ」られた。その一つ一つに多くのドラマがあったようだ。長崎というせばまった港で建造されたため、その進水には多くの困難がともなったという。また機密保持については多くの人員を投入。シュロでつくったスダレで船体を覆ったり、進水時には住民が海岸を見ないよう見張りを徹底したり。そのなかでもとくに印象的だったのは、設計図紛失事件が起き、その厳しい取り調べのため、精神を病み、つかいものにならなくなった工員まででてしまったエピソードである。当時の雰囲気を象徴する話ではないだろうか。

・「武蔵」は巨大でなにをも圧倒する鋼鉄の生き物のように描写されている。そしてそれは多くの期待を背負ったものだった。しかし、よく知られているように武蔵が竣工した時点で、すでに時代は航空機の時代だった。燃費は食うは足は遅いは、「武蔵」はそのかけられた労力に全くみあわない運命を約束されていたのである。

実際、武蔵はたいした戦果をあげることもなく、アメリカ海軍の航空攻撃を一身に引き受け沈没した。特にその部分の描写は鮮烈だったように思う。対空機銃は周囲を爆音で満たし、破裂する身体、大量の血液、傾く船体、光を発して流れ落ちる敵機。生きるため生きのびるため、舞台は興奮に染まる。しかし、俯瞰的な筆致のなか読者の前では、大量の音、光、エネルギー、血液があふれる世界でも、ものごとは粛々と進んでいくのだ。無慈悲にも想定できるとおりしんしんと展開していくのだ。不沈艦とよばれただけあって、多くの魚雷を受けても武蔵は沈まない。だが、一方的に航空攻撃をうける武蔵は、ただなぶられているだけだ、ともいえるだろう。

・武蔵沈没後、運良くあの惨劇を生き残った乗組員たちがいるわけだが、その行く末で本書は終わる。輸送船の沈没でなくったもの、玉砕でなくなったものなど、悲惨な結果が、死者の数字とともにたんたんと列記される。
「マニラ地区のクラーク飛行場作業員として使役に使われた者三百二十名は、武器を所持していないため突撃隊に編入させられ、棒つき円錐弾、ふとん爆弾等の俄づくりの爆弾を手に敵戦車の下に飛びこんで玉砕。この地区での生存者は、佐藤益吉水兵長一名だけであった。」
彼らの生にどのような意味があったのか。不遜かもしれないが、ふとそう思ってしまった。
少なくとも、敗北へひた走る戦争末期、あの社会は狂っていた。

なるほどな、と思った他者の指摘

(「一流の仕事」、rupapa)
http://www.amazon.co.jp/review/R18G4ZXD9COHKM/ref=cm_cr_rdp_perm?ie=UTF8&ASIN=4101117012

「凡百の作家なら調べた労力と時間とカネが惜しくてつい不必要な資料・あるいは人間ドラマを入れて作品を膨らまし、結果的に陳腐な作品に仕上げてしまうところを、この作者はそんな誘惑は最初からバッサリと切り捨てて、調査の労力すら作品中には匂わせない。
なるべく平易で明瞭な言葉・構成をもちいて船をひとつ造り上げる複雑な工程を的確に描写し、読者の興味をそそる形で呈示する。

また、あんな大きな船を作る小説を書こうと思うと、とっかかりが無い事にはまとまらないから、まず設計技師なり現場監督なり一人の登場人物に焦点を絞って書き上げるのが王道だが、あくまでも船を取り巻く人間のエネルギーと、その徒労に終わる運命を読者に傍の特等席から見せる形をとっている。 幾人か登場人物はあるものの、ごくあっさりとしか人間像は描かれず、焦点はあくまでも船、それで最後まで苦もなく読ませるから、恐ろしい筆力だと思った。」