メディアの信頼性を損ねる、ちょっとした言葉遣いによる無意識への働きかけ、印象操作(朝日新聞の例)

こんな記事を見つけた。

「首相経験者5人、安倍首相へ提言 安保関連法案めぐり」
 参院特別委で審議中の安全保障関連法案をめぐり、法案に反対するマスコミOB有志が11日、首相経験者5人による安倍晋三首相に対する提言を発表した。首相側にも郵送した。

(http://www.asahi.com/articles/ASH8C5K3WH8CUTIL03D.html)
※色付けは引用者


この記事には非常に良くない部分がある。それは1文目、「法案に反対するマスコミOB有志が」の「有志」の部分である。

安全保障関連法案についてはいろいろな意見があろう。問題なのはファクトを伝えるはずの記事で、安全保障関連法案の反対者を「有志」、つまり「志有る」人々だ、と定義していることである。そしてこの言葉遣いは読み手に対し、安全保障関連法案を反対することが好ましいと無意識の部分に働きかける。これは悪質な印象操作だ。

私は新聞社が意見を述べることに反対しているわけではない。日本ではメディアは公正中立であるべきだと考える人が多い。確かにファクトを伝える部分では私もそうあるべきだと思う。しかし意見はもっていいと思う。むしろ社説等で自らの意見や立場をきちんと表明すべきだと考えるのだ。もちろん根拠やデータをもとに。

しかしこの記事はどうだろう? この記事は社説といった意見を表明するものではない。冷静にファクトを伝える役割を担った記事だ。そうした記事で、先に説明したように安全保障関連法案への非難の目を無意識に植えつける言葉遣いをしてしまっている。事実に基づいて理由をきちんと説明して批判するのならいい。論理的だ。しかしそうしたことをせずに、言葉遣いを少し変えることで特定の意見を刷り込むのは悪質な印象操作でしかない。

経営を誤った金融機関を救済するための税金を「公的資金」とよんで目をそらそうとしたり、全滅することを「玉砕」とよんで冷酷な事実に思いが至らないようにするのと近いと考えればわかりやすいだろうか。

とかくこの記事でいえば「有志」という言葉遣いはやめるべきだし、あるいは安全保障関連法案に賛成する人々にも、彼らだって当然彼らの「志が有って」行動しているのだから「有志」とラベリングすべきだ。


今回の記事は朝日新聞の信頼を損ねてしまうものだ。
また読者たる私たちは、このような悪質な印象操作に引っかからないように気をつけたい。