神社の古代史

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神社の古代史
岡田精司 1985 大阪書籍

内容、カバーより

古代の人々の信仰や祭りのなかから、神社は、各地で多元的に成立した。
それらは、大和王権の国家支配が進むに伴ってそれぞれの正確・役割を与えられ、律令体制下の神社制度が確立した。
著者永年の研究に基づき神社の起源や変遷をあきらかにし、日本古代史におけるその意義を問う。

メモ

古墳時代後期から奈良時代の、神観念と祭の特徴
(1)あらゆるものに神霊が宿っていると考えられた
(2)神は平常は人里には住まず、遠方の清浄の地にいて、祭の日だけやってくるものだと考えられた
(3)神はみえないもの
(4)神と死者の霊は全く区別されていた p8

○「祭りの場所は、神聖でなければならない。清浄でなければならない。だから日常生活によって生じる穢れが及ばないところ、村里から少し離れた小高い所や海辺が選ばれます。」p18

○祭りは、物忌みや禊ぎ、祓え等によって、場や人を清めてから行う。

○神祭りは夜が多い。

○「古い神社の境内地は、背後に山か森があり、手前には川や溝があって水によって俗界と判然と区別されていることが多い。」p18

大神神社主祭神であるオオモノヌシは、天皇家と深いつながりのある神であると同時に、天皇家に服属を誓う神である。
三輪山のふもとには数少ない前期の前方後円墳が集中している地であり、三輪山が王権を象徴する神の山であったと考えられる。その後、王権の中心は河内へと移っていった。「大王の地位と深くかかわりながら、一方では大王に忠誠を誓う姿、その矛盾したあり方の中に、古代王朝の興亡の中での三輪山の神の王権との関わりの変化、この神を奉じた人々の歴史がうかがわれるように思います。」p47

○古代の伊勢神宮天皇のみの守護神。皇太子、皇后であっても、私的にお供え物をして祈願する際は、天皇の勅許が必要だった。その他の皇族、臣下は個人的に祈願することは許されず。違反すると遠流という重罪だった。p56

○(伊勢神宮について。外宮は土着の神。内宮は機内から皇祖神として移してきた神ではないか。
根拠。
・外宮は信仰の対象として神体山をいただいていることがうかがえる。一方、内宮には信仰の対象となる自然が見当たらない。
・外宮の神職は内宮のアマテラスに神饌を奉仕している。外宮の神による服従の誓約の形を示したものか。
・外宮の神主は土着の豪族である渡会氏。
・外宮の神域には巨石を使った横穴式円墳がのこる。土着の豪族のものか。)p64

○神社のなかには、南面して方角を変えてしまったために、何を崇拝していたのかわからなくなった神社が多い。p63

○「古代の宗像大社は、筑前の地方豪族の祭る氏神が、外交・軍事の必要性から(引用者注:朝鮮航路の)航海守護神として国家的祭祀の対象とされるようになり、対外交渉の衰退とともに再び地方神的な神社に戻ってゆくという変遷をたどります」p89

住吉大社について。
もともとは水が澄んだきれいな入り海という意味の「スミノエ」。それに「住吉」という字があてられ、その後、スミヨシと呼ばれるようになった。

次のように変遷。
住の江の津の港の神 → 王権の外港としての難波津全体の守護神 → (海外への派兵や使節派遣にともない)王権の軍事・外交に関わる航海の守護神

住吉大社大和王権の対外航路の守護神。祭祀を担当していた一族は外交官も多数輩出。p105

住吉大社の本殿は四つある、主祭神の本殿が三つ縦に並び、三つ目の横に四つ目の本殿がある。四つ目の祭神は神功皇后ということになっているが、元々は三神を祭る巫女のお籠もりの建物だったのではないか。

○(物部氏石上神宮の祭祀を担当していたが、氏子として祭祀を担当していたのではなく、大和王権で軍事を司る氏族として(職掌の分担として)、同じく軍事を司る石上神宮の祭祀を担当していた、と考えられる。)

○(石上神宮大和王権の武器庫と神宝の格納庫としても機能していた、と考えられる。)p124

○「神祇官の行う四時祭のうち、何といっても重要な意味をもつものが二月四日のトシゴイノマツリ、祈年祭です。それは天皇の名で行う稲の豊作祈願の行事です。この祈年祭に朝廷から幣帛つまり供物を下賜する三千百三十二の神々のリストが『延喜式』の「神名帳」で、これらの神社が「式」の内に載せられているという意味で「式内社」とよばれます。」p203

○(神祇官が行っていた祭祀は、南北朝内乱のあたりで変質したり形骸化したものが多い。古い形式の多くは、現在に伝わらず。)p198

○(祈年祭天皇がたたえごとをのべ祈願するのは神祇官西院に祭っている神々と伊勢神宮の神、古来天皇とゆかりの深い南大和の神々。
他の神々には、天皇の祭る神々を助けて五穀豊穣を命令している。お礼のお供え物も地方の神々にはほとんどしない。)p208
「朝廷が尊んでお祭りする対象の神と、朝廷に服従して命令される神々とがはっきり分けられていることを示しています。」p209

○(律令体制における神階制度や官社制度をはじめとする神祇政策の目的は、伊勢神宮最高神として全国の神々を序列化させ、中央・地方の神々が皇祖神であるアマテラスの家来となって服従するという形をとること。現実の天皇を頂点とする中央貴族集団による支配の形を、そっくり神々の体系として反映させている。)p211

国司が地方の神社をまわったことについては、本来は祈年祭班幣を行う官社制度に対応していたもので、管内の官社を掌握し管理するために巡検したものではないか。

○「日本史の中の“神社”のとらえ方として、私は次の二つのことをいつも念頭においている。第一には、神と神社は常に民衆の心の拠りどころであり団結の結節点としての性格をもつ反面、他方では支配者の統治の手段としての役割を担うという両面性があり、その両方の流れの相克と混じり合いの中に神社の歴史が展開しているといえるであろう。第二には、一般に神社についての理解は、古代の信仰が現在まで続いているように考える傾向が強いが、古代からの時代時代の流れの中でのあり方をとらえなければならぬこと。」p225

感想

○豊作や豊漁、種々の安全という生活に密着した祈りや祖先崇拝をになった土着信仰としての神道信仰と、天皇を中心とする国家体制を保証するものとしての神道信仰。神道信仰にはその二面性があるが、その両面をバランスよくみながら神道信仰を論じている。

私もつねづね意識してきたつもりだが、著者のこの姿勢は神道を考えるうえでの基本だろうと思う。勉強になる本だった。

宮中祭祀についても整理しており学ぶことが多かった。

○古代の宗教に関することは、どうしても推測を重ねて論じていくしかない。そういう条件のなか、本書は複数根拠をあげて論究を進めており、信頼感があった。