人口から読む日本の歴史

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人口から読む日本の歴史
鬼頭 宏 2000 講談社

内容、裏面より

増加と停滞を繰り返す、4つの大きな波を示しつつ、1万年にわたり増え続けた日本の人口。そのダイナミズムを歴史人口学によって分析し、また人々の暮らしの変容と人生をいきいきと描き出す。近代以降の文明システムのあり方そのものが問われ、時代は大きな転換期にさしかかった。その大変動のなか少子高齢化社会を迎えるわれわれが進む道とは何か。

感想

○人口の増減、分布、家族構成や結婚年齢、身分構成など、人口に関するの諸変化から日本人の生活の歴史をひもといていく、という本。このように人口や人口学的変化に着目して「民衆の生きざま、死にざまを解き明か」p14していく学問を、歴史人口学というそうだ。

○歴史に迫る視点として、シンプルなわりに非常に強力な手段だな、と本書を読んでいて感じた。人口や人口様態によってすっきりと明瞭になる事実が多かったからである。しかも、「人口」というーー幾分の推測もまじっているもののーー数字で示された具体的な根拠つきである。

納得して学ぶことが多い本であった。

○江戸時代と現代の出産期間の違いなんかをみていると、たった200年もたたないうちに、人間の生活が大きく変わったことがわかる。それは驚くほど。詳しくは下記のメモ欄に転記するが、私たち人間は、時代や社会の変化によって大きくその在り様を変えてきたのだ。それはもう、もはや「生物」レベルで生き方を変えてきた、といえそうなほど。

本書で狩猟採集時代から現代に至る長い歴史と、日本人の生き様の変化をコンパクトにグッと追うことにより、なんというか、人類を生物として見るようなマクロな視点を得た気がする。
環境や社会によって生態や家族の形を柔軟に変化させる「人間」という実験動物を、地球という檻の外から見ているような気がしたのである。

メモ

縄文時代の人口密度は東日本で高く、西日本で低い。
狩猟採取生活だった当時、カロリー供給で最も重要なのは堅果類で、40%以上を占める。
そして木の実の生産量は照葉樹林より落葉樹林で多い。
したがって縄文時代、落葉樹林帯だった東日本は、食料となる木の実が照葉樹林帯の西日本よりも豊富であり、このこととサケを利用できることが、東日本の人口密度が高い理由だった、と考えられる。

縄文時代、15歳まで生き延びた男女も、平均31歳頃には死んでしまう。(もちろん乳児や幼児の死亡率は現代とは比べものにならないほど高い。)非常に短命な社会。

弥生時代、稲作の導入により、人口密度は縄文時代の2.5倍と、著しく増加。死亡率は改善。定住によって出生率も増えたか。
特に西日本で人口が急増。

○17世紀以前の世帯は、隷属農民や傍系親族(未婚の兄弟など)がいたり、複数世帯、三世代家族を有する世帯など、その一世帯あたりの人数は多かった。
しかし17世紀(江戸時代)、直系親族を中心とする小規模世帯化が進展。
これにより、これまで人口再生産を担うことの少なかった隷属農民や傍系親族が自立し、世帯を有し、人口を再生産するようになった。結果、人口が大きく増えた。

○「隷属農民の労働力に依存する名主経営が解体して、家族労働力を主体とする小農経営へ」

○江戸時代、東北と関東は西日本に比べ、早婚の傾向が強かった。

○江戸時代、中央日本では、男の初婚年齢は25〜28歳と現代の水準に近い。一方女は、18〜24歳と現代よりも若い。

○江戸時代の離婚率は高い。

○江戸時代、出産による母体の死亡が多く、そのため平均寿命で考えると男の方が長生きだった。

○江戸時代の農村は現代と違い、下層農民より上層農民の方が平均出生数は多かった。

○江戸の人口密度は極めて高く、現在のどの市町村よりも高いほど。

○前工業化時代の都市は、人口再生産率は低い。ときに出生率が死亡率より低いことも。
なぜなら、男が多く、性別がアンバランス。
配偶率が低い。
配偶期間が短い。
出生数が少ない。

また災害と流行病により大都市では大量の人命が奪われた。

この時代の都市は周辺の農村から人口流入がないと成り立たない存在だった。

○前工業化社会の死亡率は年や地域によって差が大きい。
(スカイコミュ補足:自然に左右されていたということ)

○世帯数は1955を境に減少。なお、明治以降の大きな社会変化にもかかわらず、江戸中期から200年以上、世帯数は大きく変化しなかった。

○江戸時代はだいたい結婚から末子出産まで16〜20年もあり、現代と比べ長い。40歳を過ぎるまで出産するのが普通。
「最近の日本女性は、結婚後のごく短い期間に少数の子を産み終えてしまうのが平均像となっている。これに対し、現在よりもはるかに多くの子を長い期間をかけて生み続けるというのが、江戸時代の姿だった。」
この出産期間の長さと、寿命の短さにより、江戸時代の夫婦は子供を産み育てるのに一生を費やした、といえる。
(スカイコミュ疑問:30歳を過ぎると出産にリスクがともなってくる、という話をよく聞く。この話と江戸時代の女性が40歳を過ぎるまで出産していたという本書の指摘はどう整合性をつけられるのだろうか。まして医療技術が現代ほど発達していない江戸時代ならなおさらだ。)

それに対し現代は、出産・育児からの解放による女性の自立が進んだ。また子供独立後の老夫婦二人だけで過ごす期間が著しく長期化。

兄弟関係は、年齢が離れている保護者と披保護者といった関係の強いものから遊び相手・競争相手としての兄弟関係へ変化。

○現代は三世代、二世代同居の減少により、独居老人等の福祉問題の顕在化。

○「「七歳までは神のうち」ということわざがある。生存の可能性が不確かであるうち人間として承認しないことは、夭折を嘆き悲しむ感情を緩和するうえでも、間引きを行ううえでもある種の合理性をもっていた。」
「乳幼児死亡の多い時代だったからこそ、子の発達段階に伴う七五三などの通過儀礼の重々しい意味が生きていた。」

○新しい文明システムの展開→
食料生産力の向上、居住空間の拡大→
社会の人口収容力の増大→
人口増加→
環境と文明システムによって決められている人口収容力の上限に近づくと人口成長はブレーキ、停滞→
人口が上限に近づいたことにより発生する諸問題は、その解決のために技術開発や技術移転を促す→
新しい文明システムの展開→(以降くりかえし)

「人口が長期にわたり持続的に増加する局面は、文明システムの展開が生じた時代」

○日本における人口の四つの波

〈1〉縄文時代、狩猟採取漁を糧としていた時代。環境によって人口が大きく左右された時代。
〈2〉弥生時代水稲農耕システムの展開。
〈3〉14・15世紀〜17世紀まで、市場経済化が進むことで人口が増加。
貨幣による市場経済が発展。貨幣経済が進む前の年貢は、現物か賦役といった直接領主によって消費されてしまうものだった。しかし貨幣と市場経済の発展は利得の機会をもたらし、そのため生産を増やしていこうという刺激になった。
〈4〉明治以降の工業化。科学技術の発達。