《児童養護施設の女性、奨学金借りれず》、これが誰も何もしてこなかった結末だ。

毎日新聞で、興味深い記事を見つけた。新聞社はしばらくするとネット上から記事を削除することもかねて、全文引用したい。

奨学金:施設出身女子大生借りられず 虐待の母同意望めず

 今春、児童養護施設から東京都内の私立女子大に進学した女性(18)が、日本学生支援機構奨学金を借りられずに困っている。未成年の契約に、支援機構は親権者の同意を義務づけているが、虐待していた母から同意を得るのは難しいためだ。法曹関係者らは「施設で育った人が支援を得られないのは不当で、貸与を認めるべきだ」と訴えている。
 女性は幼稚園の年中から施設で暮らした。進学校に進んだ時も「母親から『おめでとう』の一言もなかった」という。高校2年からスーパーのレジでアルバイトをし、金をためた。
 いま施設を出て家賃4万円の都内のアパートで暮らす。学費は慈善団体の支援でまかない、毎月5万円の奨学金とバイト代を生活費にあてようとしていた。しかし4月中旬、奨学金を申請できないと言われ、収入のめどがたたなくなった。友人の誘いはすべて断り、TOEICの問題集もあきらめた。
 大学では英文を専攻し、将来は国際支援に携わる夢もある。「国民健康保険もNHKの受信料も自分で払っている。返せる分しか借りないつもりなのに……」と肩を落とす。
 女性が暮らした施設の施設長(50)は「小1年の時から母親に会っておらず、同意は望めない。施設で育ったことで不利益を被らないよう、救済策を考えてほしい」と訴える。
 これに対し支援機構広報課は「民法は、未成年の法律行為に親権者の同意が必要としている。20歳になってから申し込むしかない」と、あくまで貸与できないとの立場だ。
 預金通帳や旅券の発行、一部の携帯電話の契約などは、親権者の同意がなくても、施設長の代行で可能だ。子どもの権利に詳しい平湯真人弁護士は「学ぶ権利は保証されなければならない。児童福祉法は教育などに関して施設長の親権代行を定めており、支援機構はこれを適用し、貸与を認めるべきだ」と話している。
http://mainichi.jp/select/today/news/20110513k0000m040052000c.htmlより

 親の虐待が原因で児童養護施設で育った女性がおり、その女性が奨学金を借りれず困っているという記事。奨学金を借りるのに保護者の同意が必要とのこと。児童養護施設が保護者がわりになりそうな気がするが、東京の私大に進学したとあるので児童養護施設を出たのだろう。そうすると保護者がわりになれないのかな。確かに、いくつかの児童養護施設を知っているが大学生はいなかった。高校卒業と同時に、自立してもらうというのが施設の立場なのだろう。需要はいくらもあるので、それは当然だと思う。

 僕はこの記事を読んで、(そりゃ、お金を借りれんのはおかしいやろ)と思ったわけだ。気になった点がいくつかある。
 一つは、この女性がお金を借りようとして拒否られたのが、日本学生支援機構ということ。奨学金を貸す最も、かつ圧倒的に公的な組織でしょ? この組織が最低限度の奨学金システムを構築しないでどこがするの?
 もう一つは、保護者の同意が必要で、それが得られなかった例は多いんじゃないか、という点。この女性は、親が虐待していて同意してくれなかったわけだけど、こんな例、いくらもあるだろう。もちろんこれは児童養護施設に入所している子供たちもそうだし、親元で育った子でもたくさんいるだろう。親が子供が進学するのを快く思わず、奨学金を借りるのを認めるのを拒否する。いやいや、いかにも良くありそうな光景だよ、これ。

 そして一番びっくりしたのが、こんなことを「今」だにやっている点。
 もう21世紀だよ? 戦前じゃないんだよ?
 まだこんな話を50年前とかにやってるんだったら、(まだ日本はそんな時代だっただよね〜)で済むかも知れない。でも、もう21世紀だよ? どんだけ日本は進歩してないの?

 思うに、想像力と他人を思いやる気持ちがないんだろ。
 そりゃ進学するのに親の支援はとても大事だ。とても重要だ。
 けれども不幸なことにそれを得られない子供たちもたくさんいるってことを、ぜんぜん想像できないんだろう。そして、そんな人間がたくさんいるのだろう。とても不幸なことだ。
 さらに、親の支援に恵まれなかった子供たちを助けようとか、親のせいで生じた格差を少しでもなくそうとかいう気持ちをもった人々が少なかったんだろう。格差を再生産しないようなシステムをつくろうとした人々が少なかったんだろう。とても不幸なことだ。

 親の支援が得られないような子供たちはたくさんいる。そんな子供たちが大学までいって一生懸命勉強しようとする、それを事実上極めて困難にするような社会システムは一刻も早く修正すべきだ。
 そして、多くの市民は、親の支援が得られない厳しい環境におかれた子供たちがたくさんいることを知るべきだ。もっと言えば、各種競争に打ち勝ち、システムを作る立場にいる人間の多くは、環境に恵まれ、精神的ゆとりのある子供時代を過ごした人が多いだろう。そういう人たちに、自分たちとは違い、厳しい環境におかれた子供たちがいることを理解させるシステムをつくることが必要だ。

 こんな不幸な物語はいらない。
 声を少しでもあげること。自分の考えを周りに伝えること。そうやって社会が変わっていく日本であれば。