「指導力がない」、「指導力不足」 → 馬鹿でマヌケで、さらには社会的に害のある表現。
新聞を読んでると、その知性の低さにうんざりしてため息するのはいつものこと。とはいえ、どんな出来事があったのか地方紙をザッピングしていると、共同通信の世論調査が載っていた。ネットに共同通信の記事がすぐに見つからなかったので、それを報じた産経の記事を引用したい。
共同通信社が29、30両日に実施した全国電話世論調査によると、東日本大震災や福島第1原発事故での菅直人首相のリーダーシップに関し「発揮していない」が76.0%に上り、先月下旬の前回調査の63.7%から12.3ポイント増えた。
原発事故への政府対応を「評価していない」は前回から12.4ポイント増の70.6%に上昇。被災地支援への取り組みも「評価していない」が52.3%だった。
首相は「直ちに退陣すべきだ」が23.6%となり、前回の13.8%から急増。内閣支持率は26.8%と前回から1.5ポイント下落した。
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110430/stt11043020340003-n1.htm より
世論調査の結果から国民が、菅総理の、先の大震災の対応に対し「指導力がない」と評価しているという。
地方紙の見出しでも、「指導力がない」という言葉が踊っている。
うんざりだ。とてもうんざりだ。
「指導力がない」。この言葉を目にするのは何度目だろう。
この世論調査が行われるずっとずっと前から、菅総理の、大震災への対応について、「指導力がない」という言説が、マスメディアを中心に踊りに踊っていた。舞いに舞っていた。
ほう、「指導力がない」? なにをもってそう判断したの?
探せどその理由をまともに書いていた言説はついぞ見たことがない。
なんとか書いてあっても、その理由は、「言説の書き手が(根拠を提示していないが)すべきだと思っていること」を早急に「決断」しない、からだそうだ。あるいは、「一部(全部じゃないよ)」、官僚の出した案のとおりに指示を出しているからだそうだ。バカバカしすぎて、頭が痛くなる。
「指導力がない」、あるいは「指導力不足」という主張を、ろくな根拠も書かず、垂れ流し続けるマスメディアをみていて、言いたい。
「指導力」が「ある」か「ない」という主張にどれほど意味があるのか?
そもそも政治家の役目は中小企業で通用するような、「指導」でも「リーダーシップ」を発揮することでもない。
《関係者や専門家から幅広く情報や対策について知識・知恵を集めること。》
《自分の判断に関して、国民に判断基準や価値観を提示すること。》
《細かな個々の対応は能力のある官僚や専門家を選び任せること。》
《その結果を国民に広く公開すること。》
これが政治家の役目ではないか。個々の問題については素人の政治家が、なんでもかんでも自分勝手に「決断」し官僚を指導したり、変なリーダーシップを発揮してもらっても困る。もし、政治家に「指導力」や「リーダーシップ」が必要だとしても、それは上で箇条書きした意味においてだろう。
菅総理を批判するのなら、ぜひ、上記箇条書きがなされていないことを具体的にあげて論じてほしい。僕はそれを聞きたい。僕はそれを菅総理の判断材料にしたい。
「言説の書き手が(根拠を提示していないが)すべきだと思っていること」を早急に「決断」しないからといって、菅総理を非難するのはやめれ。読んでるこっちが恥ずかしくなる。
「一部(全部じゃないよ)」、官僚の出した案のとおりに指示を出しているからといって、菅総理を非難するのはやめれ。読んでるこっちが情けなくなる。
まあ、根拠もろくに書かずに、「指導力がない」といえば、誰でいくらでも言えるよなあ。それだけ中身に意味のない言葉っつうこった。このような中身のない反知性的な言説は、それだけで書いてる人も読んでる人もバカにするし、政府の対応に対するまともな批判も成されなくなるから、可及的速やかに無くなって欲しい。