『2010年 センター試験 倫理』の問題が、めちゃおもしろい

 昨日、大学入試センター試験が終わりました。受験生のみなさん、お疲れ様です。僕も、得意教科である「国語」を解いてみましたが、なかなかレベルが高かったですね。多くの受験生にとって、なかなか厳しい試験だったのではないでしょうか。


 さて本題。ついでに「倫理」の問題も解いてみたのだが、倫理の問題、非常にステキ。
皮肉や、現代社会への揶揄が、とても痛快。



 のっけにある、問1を見てみよう。
ステレオタイプ的な見方による発言には○を、ステレオタイプ的な見方による発言ではないものを×とした場合、その組合せとして最も適当なものを下の①〜⑥のうちから一つ選べ」という。

ア 「やせた体型をしている人というのは、物事に対して多かれ少なかれ神経質な意識と行動パターンをもっている。」


イ 「女性はもともと他者と密接な関係をもちたいと考えているので、子どもや人の世話をするような仕事に適性がある。」


ウ 「フリーターやニートと呼ばれる人たちのなかには様々な人がいるが、共通する傾向として多かれ少なかれ甘えがある。」


エ 「最近の若者は、中高年の人たちが若かったころに比べて、我慢や辛抱というものができなくなってきている。」


① ア○ イ× ウ○ エ○
② ア× イ○ ウ○ エ×
③ ア○ イ○ ウ○ エ○
④ ア○ イ× ウ○ エ×
⑤ ア○ イ○ ウ× エ○
⑥ ア× イ× ウ× エ×


 さあ、答えは何番でしょう??



 これなんと、③が答えなんです。つまり、ア〜エの全てが「ステレオタイプ的な見方」なのです。
アは、よく心理学で聞くから、科学的な根拠があるのかなあ、とも思ったけれども、違うみたい。
ア〜エのどれもが、学術的、統計的データのない「ステレオタイプ的な見方」にほかならないのだ。


 ところで、ア〜エをよ〜く見てみてw
イにしろ、ウにしろ、エにしろ、テレビや新聞、雑誌、本などで、よく聞く言説でしょ。ほ〜んと、あきれるくらい、よっく聞く言説でしょ。「センター試験 倫理は、これらを「ステレオタイプ」、つまり「人々を画一的に捉える見方」だと、一刀両断にしているわけだ。
 痛快w






 もう一つ面白いところがある。それは、同じくステレオタイプについて説明する本文。問題文としてのっけの部分だ。さあ、なんとここに、とんでもなく精密な、ブーメラン攻撃が仕組まれているのである。まるで鳩山総理みたいに。
さっそくその部分を見てみよう。

 気の合う人たちや仲間との関係のみを重視し、それ以外の人たちとは関わろうとしない若者が増えていると言われる。他者への関心や関わりあいをもとうとしないと、その見方は、個人への配慮を欠いた画一的なものとなりがちである。このような、人々を画一的に捉える見方はステレオタイプと呼ばれる。


 さあ、みなさん。よーく上の文章を読んでみて。



 この文章では、(ステレオタイプ)=(このような、人々を画一的に捉える見方)
となっている。
 この、《このような》がミソなのだ。
さて、このような》とはどこを指しているのか?



普通に考えたら、その前の部分、つまり、「他者への関心や関わりあいをもとうとしない」ことによって「個人への配慮を欠いた画一的なものとなりがち」になったものの「見方」、となるだろう。


《「他者への関心や関わりあいをもとうとしない」ことによって「個人への配慮を欠いた画一的なものとなりがち」になったものの「見方」》
   ↓
《人々を画一的に捉える見方》
   ↓
ステレオタイプ

 気の合う人たちや仲間との関係のみを重視し、それ以外の人たちとは関わろうとしない若者が増えていると言われる。他者への関心や関わりあいをもとうとしないと、その見方は、個人への配慮を欠いた画一的なものとなりがちである。このような、人々を画一的に捉える見方ステレオタイプと呼ばれる。


 しかし、よく見てみると、《このような》は、その前の文章全体を指しているとも読めるのだ。
つまり、「気の合う人たちや仲間との関係のみを重視し、それ以外の人たちとは関わろうとしない若者が増えている」や
「他者への関心や関わりあいをもとうとしないと、その見方は、個人への配慮を欠いた画一的なものとなりがちである」が、
ステレオタイプ)=(このような、人々を画一的に捉える見方)にほかならないとも、読めるのだ。
 だって、「気の合う人たちや仲間との関係のみを重視し、それ以外の人たちとは関わろうとしない若者が増えている」や
「他者への関心や関わりあいをもとうとしないと、その見方は、個人への配慮を欠いた画一的なものとなりがちである」も、科学的根拠や統計データのない妄言でしょ。



《気の合う人たちや仲間との関係のみを重視し、それ以外の人たちとは関わろうとしない若者が増えている》や
《他者への関心や関わりあいをもとうとしないと、その見方は、個人への配慮を欠いた画一的なものとなりがちである》
   ↓
《このような、人々を画一的に捉える見方》
   ↓
ステレオタイプ

 気の合う人たちや仲間との関係のみを重視し、それ以外の人たちとは関わろうとしない若者が増えていると言われる。他者への関心や関わりあいをもとうとしないと、その見方は、個人への配慮を欠いた画一的なものとなりがちである。このような、人々を画一的に捉える見方ステレオタイプと呼ばれる。


 ステレオタイプの具体例をあげながら、その避難をしつつ、実をいうと、その具体例自体がステレオタイプにおちいっているという、なんとすばらしいブーメラン。まさに、天に吐いた唾が、自分の眉間にダイレクトアタック。
2010年の倫理の問題。最高です。


(倫理の問題→http://www.toshin.com/center/
(解答   →http://www.dnc.ac.jp/center_exam/22exam/22hon_seikai.html
(参考「今年の倫理のセンター試験問題が科学哲学的に非常に面白い件について」→http://blackshadow.seesaa.net/article/138539560.html