虎よ、虎よ!

虎よ、虎よ!
アルフレッド・ベスター 中田耕治訳 S53 早川書房


【カヴァーより】
ジョウント効果と呼ばれるテレポーテーションの開発によって、世界は大きく変貌した。一瞬のうちに空間を跳び、人々はどこへでも、自由に行けるようになったのである。しかしそれと同時に、このジョウント効果がもたらしたもの、それは富と窃盗、収奪と劫略、怖るべき惑星間戦争でもあった。この物情騒然たる25世紀を背景として顔に異様な虎の刺青をされた野生の男ガリヴァー・フォイルの、無限の時空をまたにかけた絢爛たる<ヴォーガ>復讐の物語がここにはじまる・・・・・・。アメリカSF界きっての鬼才が、前衛的な手法と華麗な筆致を駆使して見事に描きあげた不滅の名作!


【雑感】
有名なSF復讐譚。


野性味全開の主人公に、狂気が宿ってるなんて評している言説をいくつも見かけたけれど、本当の狂気はこんなものではない。狂気を描くには、まっすぐ狂気を描く方法と、ぐるっと曲がって描く方法がある。本当の狂気は、ぐるっと曲がって描かれた狂気だ。本作は、まっすぐな、狂気に近い熱情を描いたものにすぎないだろう。しかしそれはそれで、主人公フォイルの救いとなっている。


でも僕はもっと突っ走った狂気が好きだなあ。狂気ってのは、武田泰淳の「審判」で描かれるようなもののことをいうと思う。
参考 http://d.hatena.ne.jp/skycommu/20090528/1243509679


当初は、自分を見捨てた宇宙船そのものに復讐しようとするちょっとかわいい主人公。復讐するため、だんだんと金や権力を得るんだけれど、その分、人間が丸くなる。やっぱり狂気じゃないなあ。


ラストは唐突だった。フォイルは、彼と対峙してきた権力者たちに、民衆に責任を与えよと、言う。そして、大量破壊兵器を民衆にばらまき、言い放つ。


「諸君はブタだ。ブタみたいに阿呆だ。おれのいいたいのはそれだけだ。諸君は自分のなかに貴重なものを持っている。それなのにほんのわずかしか使わないのだ。諸君、聞いているか?諸君は天才を持っているのに阿呆なことしか考えない。精神を持ちながら空虚を感じている。諸君の全部がだ。諸君のことごとくがだ……」
「戦争をやって消耗しつくすがいい。惨憺たる目にあって考えるがいい。自分を偉大だと思いこむために挑戦するがいい。あとの時間はただすわって怠惰におちいるがいい。諸君は、ブタだ!いいか、呪われているんだぞ!おれは諸君に挑戦する。死か生か、そして偉大になるがいい。きさまたちが最後の破局をむかえるときには、このおれを、ガリー・フォイルを見出すのだ。おれは諸君を人間にしてやる。おれは諸君を偉大にしてやる。おれは諸君に星をあたえてやるのだ。」


勢いのある名言だ。
しかしそのラストが、それまでの物語と有機的に連結しているかと言われれば、疑問に思わざるを得なかった。


《20081003の記事》