野ブタ。をプロデュース

野ブタ。をプロデュース
白石玄 2004 11 30 河出書房新社


 〔あらすじ〕
 クラスの中心グループに属する人気者、「桐谷修二」。でもそれは桐谷修二の着る、着ぐるみみたいなものだった。桐谷はクラス内での適度な距離〜他人とくっつきすぎず離れすぎず〜や適度な愛を求め、「桐谷修二」をかぶって、意識的にうまくクラス内を立ち回っていたのだ。


 そんなある日、桐谷のクラスに転入生がやってくる。ぽっちゃり太っていて、みるからにぶ男。かつどもり、かつびびり。早速、その転入生、小谷信太は激しいいじめを受ける。


 しかし、ふとしたきっかけで桐谷は小谷をプロデュースし、クラスの人気者にさせることになった。もともと、「桐谷修二」をプロデュースし、クラスの人気者である桐谷。その桐谷の放つプロデュース作戦のおかげで、小谷の株はどんどん上がる。そして、クラスのいじられキャラとして確固たる地位を確立した。


 一方、桐谷に襲ってくる悲劇。目の前で不良にぼこられている人を級友だと気づかず、結果的に無視してしまったのだ。「気づかなかたんだ」という桐谷をクラスの誰も信じず、やがてクラスで孤立していく桐谷。寂しさや焦りから、優しく接してくれる小谷や彼女に近い存在のマリ子にまで冷たくあたってしまう。


 結局、桐谷は、転入し新しく「桐谷修二」をプロデュースすることを決意する。


 〔雑文〕
 最初、読み終わった時、正直「また流行りの軽くてくだらない小説を読んでしまったなあ」「時間の無駄だった」と思った。流行りの本ほど概して陳腐なものは多い。しかし、パラパラ本をめくりながら、あらすじを書いている途中に気づいた。これは本当に計算されている小説だ、と。


 場当たり的に見える桐谷の行動。いじめられている時の小谷に話しかけたり、小谷をプロデュースしてみたり。そして、あっさり転校するという救済のない終わり。けれどもそれらは主人公、桐谷だからこそ成す、成し得る行動だったのだ。


 クラスこそ最高の人間観察の場所である。大学生や社会人のように外に飛び出してゆくことも叶わずクラスに閉じこめられる高校生、中学生、小学生たち。そこで繰り広げられる微妙な駆け引き、ごく少数の影響力ある人にしたがって動くクラス。空気を読んで場を計算、ごく少数の影響力のある人に何とか自分の意志を伝え、クラスの流れをより都合よくしようとする人々。クラスのまとまり度や雰囲気に応じて柔軟に振る舞わなければならない。


 客観的な視点を持つ人には最高におもしろい場所だ。私もそこそこ人間観察が好きだったから、多様な意味をふくんだ笑顔が溢れ、知ってか知らずか人間の微妙な心性がいかんなく発揮されるクラスというものが大好きだった。ある意味、進化心理学、心理学の生きた、生の、壮大な実験場である。いわば人間における、チンパンジー観察で有名なアーネム動物公園のようなものである。


 私は完全に客観的な視点を手に入れることがなかった。クラスの中で、知らず人間の微妙な心性を発揮させる一つの個として埋没していった。


 けれども桐谷修二は違うのである。彼にはほぼ完全に客観的な視点が備わっていた。空気を読んで客観的に場の計算をして最善の行動をとっていた。だからいじめられている小谷に、彼をバカにしつつ話しかけられたのだ。なぜなら、いじめられている奴に話しかけるとクラスで不利になると言うことを頭でちゃんと分かっていたから。人前でなけりゃそれほどでもないだろうと分かっていたから。そしてそんなくだらない図式を頭のどこかでバカにしていたから。


 なぜ小谷をプロデュースしようとしたのか。それは本書に語られる。自分の、他人に対するコントロール力を、場を読む力を試したかったがため。それも客観的な視点を持っていたからである。


 なぜ、本書の最後で桐谷はあっさり転入したのか?なぜ、一見すると救済のない終わりなのか? なぜなら、桐谷にとってはそれが自明だったから。客観的な視点を持ちクラスの図式をあざ笑う桐谷にとって、前の高校には何の未練もなく、また新しい地で同じように自分をプロデュースするだけだったから。


 その他、諸々の行動も、客観的な視点を持ち、人間観察を得意とし、クラスのくだらない図式をあざ笑える彼だからこそ、成す成し得る行動だったのだ。


 これまでも桐谷に近しい考えを持つ者はいたし、これからも輩出され続けるだろう。彼らは、進化心理学という学問を学んだとき、クラスに、社会に、安住の地を見つけるに違いない。


 人間の心理というのは単に様々な要因による淘汰の結果に過ぎない。それを理解した時、人間の、実にくだらない社会にも満足して服することができるだろう。自分の認識や考えのギャップに悩むことはあるまい。


 安心したまえ。人間とはバカでもなく賢いわけでもない。単なるさまざまな淘汰の結果なのだ。人間の心理というのもさまざまな、例えば巨大で複雑な社会を形成しうるために受けた淘汰圧の結果なのだ。さあ、自分に素直に、自由に、生きよう!



野ブタ。をプロデュースの名言)
「言葉が嘘か本当かそんな事より、伝わったことが事実だ」


《20060429の記事》